金輪寺 高仙寺行者堂 飯盛山


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①普照山金輪寺(行所)

②寶長山高仙寺(行所)

③飯盛山(行所)
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①普照山金輪寺(行所)

金輪寺は大阪府泉南郡岬町孝子にある。
南海本線孝子駅から北西に200m程進むと、黄檗宗普照山金輪寺の山門に至る。


金輪寺に関する記述

≪葛城峯中記 山田孫大夫家所蔵版≫
「金輪寺 禅宗
本堂十一面観音」

≪葛嶺雑記≫
「金輪寺 禅宗
本尊 釈迦 正観音」

南海本線孝子駅→(4分)→普照山金輪寺

②寶長山高仙寺(行所)

高仙寺に関する記述

≪葛城峯中記 山田孫太夫家所蔵版≫
「三ノ宿 寶長山高仙寺 禅宗
一、本堂正観音 一、行者堂 一、悲母御墓 一、鬼ヶ塚 金剛童子ならんか。
平四郎宅より四五町計の所左手に童子の塚在り。
一、三面瀧 川筋に在り。 一、弁財天 山上に在り。
是より飯盛寺へ五十町計り。」

南海本線孝子駅の南にある踏切を東に1km程進むと、高仙寺の参道が現れる。
石段を登ると、本堂の手前に行者堂がある。


石段を登り詰めると本堂が現れる


本堂の裏手に廻ると役の行者を祀った石宮がある。

≪諸山縁起≫
(石宮在り、仙人の石屋。行者読経所。)



石宮の隣に役行者母公の墓がある
≪葛城峯中記 川越市立図書館蔵≫
(御母の墓在る也。)



南海本線孝子駅→(20分)→高仙寺

③飯盛山(行所)

飯盛山の山頂付近には、かつて千間寺という寺があり、これが飯盛寺と思われる。

飯盛寺に関する記述

≪葛城峯中記 川越市立図書館蔵≫
「飯盛寺 釈迦」

≪葛城峯中記 山田孫大夫家所蔵版≫
「飯盛寺 寺坊退転」

これによって飯盛寺には釈迦像があったが、廃寺になったことがわかる。
言い伝えによると、この釈迦像は金輪寺に移されたとされている。

飯盛山への道の入口は高仙寺本堂の裏にある。



この道を3km程東に進むと飯盛山山頂に至る。

途中の分岐1は東に進む。



山頂手前に岬町教育委員会による千間寺についての解説書きがある。



飯盛山(海抜384.5m)

この山の頂近くに「千間寺」という寺があった。
開基は役の行者といわれている。
修験道葛城二八宿の第四番の行場であった。
戦国時代には根来寺の末寺になって、数多くの僧兵が住んでいたが、
織田信長の雑賀攻め(一五七七)か、豊臣秀吉の根来攻め(一五八五)のときに、兵火にかかって焼失した。
寺跡には現在でも屋根瓦や日用雑器の破片が散乱している。
その当時栽培されていた茶の木も現存するほか、馬道、鞍掛、大門跡の地名など、数多くの伝承が残されている。
幕末期、異国船が大阪湾を往来するようになり、その見張りのため「番所」が設置され、港湾の状況を逸早く大阪へ通報役目を果たした。

岬町教育委員会

千間寺跡には今も瓦が散乱している



葛城峯中記(山田孫太夫家所蔵版)の飯盛寺に関する記述には
「一、飯盛寺 寺坊退転」
とあり、千間寺が飯盛寺のことであると思われる。

この解説書きの左手に鳥居がある。



鳥居をくぐると閼伽井が現れる。



解説書きから、鳥居の方へ行かずに右へ進むと山頂に至る。



山頂には祠がある。

葛城峯中記(山田孫太夫家所蔵版)の飯盛寺の記述には
「一、弁財天 石之宝殿」
とあるので、この祠は弁財天を祀っていたかも知れないが現在は不明である。



高仙寺本堂→(60分)→飯盛山山頂

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