妙経授學無學人記品第九


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現在の第九経塚は和歌山県那賀郡那賀町和泉葛城山にある。

第九経塚に関する記述

≪諸山縁起≫

四十八. 龍宿、龍多輪

人記品第九、一千二百三十七字なり。行基の堂所、多輪の四にあり。閼伽井、出世法、文出世寶。口傳あり。法蔵山。

≪葛城嶺中記≫

四十八.龍宿 龍多輪。

人記品第九、一千二百三十一字也。行基の堂所、多輪の西に有り。閼伽井。出世法、又は出世宝。口傳。宝蔵山、金剛童子。木の本に閼伽井有り。次、龍王の宮、天神尾の道辻に金剛童子。三丁峯筋下に瀧の場有り。此処に於いて流鏑馬し懸かる神事在り。

≪葛城峯中記≫

四十七.龍宿

人記品第九。金剛童子。上に八幡。一丁西に水在り。東へ直に二十丁行くと下津川也。南は原也。

≪葛嶺雑記≫

金剛童子祠 紀州那賀郡にて滝王の脇にあり この祠を 妙 授学人記品第九之地に建し経つかといへり。

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和泉葛城山に関する記述

≪和泉葛城峰宝仙山萬覚書≫(和泉志 第44・45・46・47合併号 和泉文化研究会)

葛城の峰と申は、あわ島より大和国金剛山ニ城がだけ迄の間三拾八里の惣名をいふなり。

此峯筋中に泉州南部塔原村領の宝仙山と申す所を葛城山と申し伝え大阪堺御奉行所え葛城山と書上物事相済来り候。泉州にて高山にて国々迄見え、紀伊国、大和、伊勢、さかい高見山、見へ申す。

河内、伊賀、あふみ、山城京、津野国、はりま、あわぢ、並に四国見え申す。

元此山は金剛童子の山なり。然所、弘法大師と、しるびん大師、といのり相、しるびん大師、まかの二字を以て雨をふらせる龍神達を、ことごとく、しばりたれば日本百日の大日でりに成ぬ。

扨弘法大師は、はんにやはらみつたと、となへ、海の竜王えきせいしたまえば、たちまちに八大竜王、泉州脇浜浦にあらわれ出たまへぬ。

其所を今にや竜王島といふなり。

弘法大師扨八大竜王さまを葛城峰にうつしたまへば其まゝ天下一同に雨ふり五こく成じゆしたりぬ。

今に毎年五月廿二に高野山先達於宮前天下太平五こく成じゆの葛城柴灯護摩供天下安全祈祷をなす。

其後、金剛童子は紀州領へ三十間斗しりぞきたまい石の小社有り。先年泉州の支配有とゆへ共、今は紀州領ゆへ紀州の支配也。

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和泉葛城山の山頂に八大龍王を祀る葛城神社がある。

「葛城神社

葛城山は、奈良時代に役小角(役行者)が開いたとされる葛城修験道場として信仰を集めてきた。伝説によれば、享保年間(1716~1736)、岸和田藩主岡部氏が狩に来山した時に、白鹿を射殺すると、たちまち雷が鳴り豪雨となった。そこで、藩主は巨石で社殿を造り、葛城一言主命・八大龍王をまつって山を鎮めたと言われている。以来、社は五ヶ荘(塔原、相川、河合、蕎原、木積)の郷社とされ特に雨の神として信仰された。7月18日、8月25日、9月22日には、祭礼が行われている。

平成5年3月 岸和田市教育委員会 貝塚市教育委員会」


葛城神社


葛城神社と背中合わせに和歌山側には「八大龍王」の額を掲げた鳥居があり、石祠がある。

聖護院門跡発行の「本山修験」第112号によれば、この祠の中に金剛童子碑があるとされている。

葛嶺雑記によれば、金剛童子祠が経塚である。
和泉葛城山峰宝仙山萬覚書には金剛童子を祀る小社が大阪側から和歌山側へ少し場所を移動したことが記されている。

≪葛嶺雑記≫

金剛童子祠 紀州那賀郡にて滝王の脇にあり

この祠を 妙 授学人記品第九之地に建し経つかといへり。


金剛童子祠(鳥居奥)

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