粉河寺、檜木の宿、中津川極楽寺、熊野権現社


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粉河寺、檜木の宿、中津川極楽寺、熊野権現社は和歌山県紀ノ川市にある。

粉河寺に関する記述

《諸山縁起》

四十三、粉河寺
観音。毘沙門堂。
牛頭多輪
薬師水、毘沙門水、摩利子天水


《葛城嶺中記 国立国会図書館蔵版》

四十三、粉河寺、
観音。毘沙門。
粉河牛頭多輪、薬師水、毘沙門水、摩利支天水。


《葛城峯中記 川越市立図書館蔵版》

四十二、粉河寺
牛頭多輪
観音、毘沙門、摩利支天水、御池、毘舎門あり。


《葛城峯中記 山田孫太夫家所蔵版》

一、粉河寺
一、本堂観音 一、行者堂 左方石段壇の上に在り。


《葛嶺雑記》

補陀落山粉河寺 同国郡 山門流
本堂千手・神変大士堂・若一王子


檜木の宿に関する記述

《葛城嶺中記 犬鳴山七寶瀧寺蔵版》

次、檜木宿


《葛城峯中記 川越市立図書館蔵版》

四十四、檜宿
左へ入る道有り。金剛童子。
七八丁行き、左へ下る。吉水在り。行者の独鈷を掘り給う也。


《葛嶺雑記》

こゝより中津川にいたるみちに、檜木の杜に役行者御腰懸松、桃の宿


中津川極楽寺に関する記述

《葛城嶺中記 犬鳴山七寶瀧寺蔵版》

次、中津川極楽寺本尊は阿弥陀。行基の御作也。左に不動。智証の御作。右は行者像也。此の寺に於いて諸先達、蒙官爵、新客は十七日間断食し、而して改むる所也。是れ則ち往古より行者の規範也。


《紀伊續風土記》

極楽寺釋木山龍徳院 境内山林周五町餘
天台宗粉河寺末
紀伊續風土記 巻三十三 那賀郡 粉河荘下 中津河村 
阿彌陀堂 阿彌陀如来観音勢至韋駄天不動明王役行者作自像並に前鬼後鬼あり
村の北十二町餘にあり當寺は役行者の開基山伏諸先達此堂に於て綱位を蒙り新客七日斷食して名を改むるを規範とす堂の棟札永徳元年三月と書す堂は古のまゝにて作り替へさる故柱楹の古く風雨に曝されて木理のされ出たる實に數百年の物なり屋瓦の形等今世の物と大に異なり行者の像は舊一乗山にありしを堂廢して後此堂中に移す其像幷に前鬼後鬼ともあり木作りにて粗工なれとも皆氣力あり行者の親作ともいふへし行者の像世上にある者と異なり豊面にして長く人中も長く鬚なく足に木履を著す左手に獨鈷を持右手に錫杖を執れり無量坊は一乗山にありて廢絶せしに近年極楽寺の側に無量坊を再建す
廢七越寺 一乗山無量坊
産土神の杜の後にあり峰中記に一乗山七越寺と書く即是なり寛永十四年も此破壊して行者堂の木像を阿彌陀堂に移す


《葛嶺雑記》

中津川 高祖堂 同国郡前鬼谷にあり 別当無量坊
聖護院宮御支配にして恒例天長地久の大護摩所、本堂神変大士、脇に三尊弥陀


熊野権現社に関する記述

《紀伊續風土記》

村の北十五町にあり一村の産土神なり又奥ノ院と称して役行者の開基といふ社破壊の時は聖護院宮より造営し給ふ毎年聖護院三寶院先達神前にて祈祷大護摩修行あり祠前の石燈籠正平ら二十四年十一月と刻めり祠の前後行所舊跡と唱ふる者甚多し悉書さす行書の墓一言主の寶塔と称するものあり又行者の碑石あり梵字を刻む行者の真筆なりといふ漫漶して文字分明ならす


《葛嶺雑記》

脇に三尊弥陀其おくに熊野権現社


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JR和歌山線粉河駅から北に進むと粉河寺に至る。


粉河寺 大門


粉河寺 本堂

粉河寺本堂の北西に行者堂が建っている。

粉河寺 行者堂

粉河寺大門からさらに北に進むと「かねつきだにだいいちはし」の架かる農道に出る。


この交差点に檜木宿の跡碑がある。


檜木の宿跡から、さらに北に進むと左手に極楽寺への石段が現れる。
檜木宿の跡から極楽寺への道は、途中から車での進入は不可能となるので注意が必要である。


中津川極楽寺への車両進入限界地→(20分)→中津川極楽寺

中津川極楽寺から、さらに北に進むと前鬼谷の熊野権現社に至る。



中津川極楽寺→(5分)→前鬼谷 熊野権現社

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