「修験の道」開設にあたって
- 1.万人に開かれた修験道
古代より多くの山林修行者が励んできた修行の足跡を追って、ひたすら山に登り、きれいな大気を呼吸し、自らを大自然の懐にたくし自然と一体となる体験が出発点となります。そして、山に生きる動物や虫、樹木や草花にいたるまで生きとし生けるものすべてが、一つの生命であることを実感することができれば、それがそのまま修験道が目指す「即身成仏」の悟りの境地に近づいたことになるからです。
- 2.現在も生きている修験道
- 3.修験道への道しるべ
また本ブログでは、実際に修験の道をたどりながら現在まで信仰を守ってこられた地元の人々の熱意と努力にも折りにふれて伝えていきたいと思っています。
しかしながら、誰もが参加できる修験道とはいえ、ただ山を歩けば良いといったものではありません。修験道では山中で修行することを独自の用語で「抖櫢」(とそう)と呼んでおり、あくまでも本来の修行として行う場合には、道中の危険を伴う厳しさだけでなく、参加者一人一人の峰中での立ち振る舞い、心の姿勢にいたるまで、各修験教団に属する先達(指導者)のもとで行うことが肝要であることを銘記しておいて下さい。
- 4.先人への感謝
現在、私たちが安心して大峰奧駈や葛城修行ができるのも、かつて所在の分からなくなっていた行所やルートを実地調査し、難所にもかかわらず案内板を設置し、あるいは現在も続けられている峰中の修行道の整備など、修験教団を中心とする修験の道を守ろうとしてきた人々の恩恵のたまものなのです。
また、葛城修験の道を歩いていると、損壊の進んだ祠などを地元のわずかな人々が寄付金を募って修繕されたことを聞いたり、人が住まなくなった集落の行所を数世帯が交代で掃除しに来たり、あるいは地域の代表が集まって経塚で祭祀をとり行っている場面に遭遇することなどが多々あります。
経塚や行所は、決して修験教団だけのものではありません。長い歴史の中で霊山、行場近くに住んでこられた地元の人々のものでもあります。地元の人々が自分たち自身の信仰、伝統文化を守り伝えようとされてきた努力を忘れてはなりません。
尚、記事中に引用させていただいた葛城修行に関する資料は、『葛嶺雑記』をはじめ多くを大本山犬鳴山七宝瀧寺よりご提供を受けました。ここに深甚の謝意を表します。
※ 葛城修行の実際や復興などについては、犬鳴山七宝瀧寺『葛城回峯録』(平成元年)、犬鳴山修験道宝照院金山隊『葛城二十八ヶ所遍路・葛城二十八宿・経塚巡拝入峯』(平成12年)を参照。
※ 大峰奧駈修行の復興については、下記をご参照ください。
→天台寺門宗
→ 福家俊彦「近代以降の本山派大峰奧駈修行」(『大阪商業大学商業史博物館紀要』第7号、2006年)。