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第二十七番札所 圓教寺

べんべんと行く西国三十三所霊場めぐり御朱印  その日、近畿一円は早朝から深い霧に覆われていた。三井寺に到着すると、べんべんが霧の向こうから姿を現す。「おはようべん!霧で町じゅうが『ブレードランナー』*べん!」朝から町を映画の世界に例えて元気いっぱい。「今日は姫路の書写山べんね。書写山といえば弁慶べん」そう、今日の霊場めぐりは、弁慶が修行に励んだという「書寫山 圓教寺」なのだ。前回は弁慶の怪力伝説に怯えていたべんべんだが、今朝は「どんな弁慶伝説があるか楽しみべん!」と、モーニングコーヒーを片手に余裕綽々。出発する頃には霧もすっかり晴れた。「いざ出陣べん!」べんべん一行は車に乗り込み、姫路へと向かった。

* 『ブレードランナー』…一九八二年公開のSF映画。リドリー・スコット監督。近未来都市の表現、および低予算の粗隠しのため、常に町中が煙っている。


書写山ロープウェイ

書写山ロープウェイ  書写山は、兵庫県姫路市の北西部に位置する標高三百七十一メートルの山。山頂の圓教寺へは、二〇一八年で運行開始から六十周年を迎えた「書写山ロープウェイ」に乗っていく。ふもとの「山麓駅」から「山上駅」まで、約四分間の「空宙散歩」。眼下に広がる山々や田園、近くを流れる夢前川などの風景を楽しむことができる。が、べんべんは外に目を向けず、椅子に座って固まったままだ。「怖いべん…」べんべんは高所恐怖症であった。いろいろと怖がりなべんべんである。


しろまるひめのお出迎え

しろまるひめのお出迎え  山上駅から札所の「摩尼殿」へは、有料のマイクロバスが利用できる。かつては観光用の馬車も運行していたという山道を行き、バスを降りて少し歩くと、白くて丸い大型生物がこちらに向かって手を振っているのが見える。姫路市のキャラクター・しろまるひめだ。べんべんが圓教寺に来ると聞いて、わざわざ会いに来てくれたのだ。頭には国宝・姫路城の帽子をかぶり、その横に桜の髪飾りをつけている。しろまるひめはその名の通り可愛い女の子だ。ふたりは少しだけ談笑し、二十七番霊場を示す石柱の横で記念撮影。お別れのときには短い腕を精一杯あげ、体を傾けながら手を振ってくれた。ありがとう、しろまるひめ。


性空上人と桜の樹

摩尼殿  書寫山は康保三(三九九)年、性空上人によって開かれた。

 性空上人は貴族の家に生まれ、少年時代から密かに出家を志すものの叶わず、三十六歳でようやく両親の許しを得て出家。まずは比叡山に上るが、大衆教化の道を選び下山。その後九州の山に籠って修行を続け、五十七歳のときに新たな修行の地を求めて書寫山に入山した。やがて花山法皇より「圓教寺」の寺号を授かり、多くの人々の信仰を集め、また「西の比叡山」とも称されるように僧侶の修行道場としても栄えた。

御本尊に手を合わせるべんべん  札所「摩尼殿」は、岩山の上に立っている。性空上人は、この崖の突端に生えていた桜の樹のそばを通りかかったとき、天女が舞い降り偈文を唱えながら礼拝するのを見た。上人は天女が唱える言葉を聞いてこの樹に如意輪観音が宿っていることを知り、その生きたままの桜の樹に「六臂如意輪観世音菩薩」を刻んだという。その周囲に柱を立て、屋根で覆ったのが摩尼殿の始まりである。二度の焼失と建て替えにより現在のお堂は四代目だが、観音様の位置は当初から変わっていない。

 お堂に入ると、奥から般若心経を唱えるお坊さんたちの声が聞こえてくる。べんべんは御本尊に手を合わせたあと、恒例の法螺貝は吹かず、しばらくそこにじっと佇んで読経の声に耳を傾けていた。


荘厳、三之堂

 御朱印をいただき参拝を終えたべんべん一行は、さらに奥へ足を伸ばして三之堂(みつのどう)へと向かう。摩尼殿と三之堂をつなぐ自然がいっぱいの静かな山道は、歩いているだけで心が洗われるようだ。べんべんが時折立ち止まり、完全に無になっている。この大自然の空気を浴びながら瞑想に耽っているのだろうか。いや、もしかしたら休んでいるだけかもしれない。

 山道を抜けると視界が大きく開け、きれいにならされた広大な広場と、それを囲むように建てられた三之堂、そしてその上に広がる突き抜けるような青空が目に入る。迫力の景観に、べんべんも「すごいべん。こういうの、荘厳っていうのかべん?」と、興奮気味につぶやく。

 三之堂は、広場から向かって右側の「大講堂」、中央の「食堂」、左側の「常行堂」からなる。べんべんは、寺宝が展示されているという食堂二階の「宝物館」へ向かった。

三之堂へと向かう 三之堂


弁慶伝説 其の壱「弁慶の机」

弁慶の机  鎌倉時代の僧・武蔵坊弁慶は、七歳の時から十年間、書写山で修行を行ったとされる。宝物館には、その際弁慶が奥之院の護法堂拝殿で使用していたという机が展示されている。「ただの荒くれ者じゃなくて、ちゃんとお勉強もしてたべんねぇ」と、べんべんが机を眺めながら感心する。机の上に置かれたパネルには「重さ八〇〜九〇㎏。弁慶は軽々と運んでいた」との解説が。「さすがべん…弁慶がいればお掃除もらくらくべん…」べんべんは、わずかに声を震わせながら生活感あふれるコメントで弁慶を称えていた。

 宝物館には弁慶の机以外にも、食堂御本尊の僧形文殊菩薩像、五大明王像、薬師如来像など貴重な文化財が数多く展示されている。参拝の折にはぜひお立ち寄りを。


弁慶伝説 其の弐「弁慶の鏡井戸」

 食堂の回廊から外を見ると、小さい池のような水たまりが見える。外に出て見てみると、看板に「弁慶の鏡井戸」の表示と、以下のような解説があった。

 「昼寝をしていた弁慶の顔に、信濃坊戒円がいたずら書きをし、二〜三十人の小法師を呼び大声で笑った。目を覚ました弁慶はなぜ笑われているのか分からなかったが、この井戸に映った自分の顔を見て激怒。大喧嘩となり、その末に大講堂など山内の建物を焼き尽くしてしまった

弁慶の鏡井戸  顔に落書きされた怒りで寺全体を焼き尽くすとは、常人の想像をはるかに超えた暴れん坊ぶりだ。「やっぱり只者じゃないべん!怖いべん!」怯えるべんべんに、圓教寺のお坊さんがこんな後日談を教えてくれた。



 「自責の念にかられた弁慶は圓教寺再建の願を立て、釘料として納めるために平家の武者から太刀を千本奪おうとしました。九九九本まで太刀を奪った弁慶は、千本目で牛若丸と出会ったんです」

 さすが弁慶、暴れっぷりのみならず、義理の通し方も破天荒だ。怯えていたべんべんも「怖いけど、いいとこあるかも、べん」と、少し弁慶を見直したようだった。


弁慶伝説 其の参「弁慶のお手玉石」

弁慶のお手玉石  摩尼殿の石段を下り、正面に見える湯屋橋を渡ると、「護法石」というふたごの岩のような大きな石がある。その昔、「乙天」「若天」というふたりの童子がここに降り立ち寺門を守ったという伝説の石だ。弁慶がこの護法石をお手玉にしたことから「弁慶のお手玉石」とも呼ばれている。普通の人間ならひとつの石を両手で持ち上げることすらできないだろう。

 また怯えているかと思われたべんべんだが、「弁慶の伝説がいっぱい残ってる理由がわかったべん。ちょっと極端だけど、何にでも正直で憎めないべん。悪いこといっぱいしてるのに、不思議な人べん」と意外なコメント。弁慶との出会いから八百年の時を経て、大人の階段をひとつのぼったようなべんべんであった。


巡礼スイーツ 杵屋『書写 千年杉』

 帰りのマイクロバスを待ちながら執事長さんらと談笑し、たくさんのお土産をいただいて一行は圓教寺をあとにした。お土産のうちのひとつは、杵屋さんの銘菓『書写 千年杉』。生地のなかに柚子餡や小倉クリームを流し込みチョコレートとアーモンドスライスでコーティングしたオリジナルバウムクーヘンだ。映画『ラストサムライ』の撮影で圓教寺を訪れたトム・クルーズは、このお菓子を気に入り柚子餡入りを五〇本大人買いして帰ったという。べんべんは小倉クリーム入りを食べ「ぱりぱりのコーティングと、しっとりした中身の相性が最高べん!」と大喜び。圓教寺のみなさん、丁寧なご案内とお土産、本当にありがとうございました。


べんべん、姫路城へ

姫路城  姫路を訪れたからには必ず行くべき場所、それはもちろんあの城だ。昼食に姫路名物穴子丼を食べたべんべん一行は一路、世界遺産・姫路城へ。観光客との記念撮影に快く応じながら桜門橋を渡って入口へ向かうと、城の敷地内から自衛隊車両が次々と出てくる。この日は陸上自衛隊姫路駐屯地の隊員と市民による大天守の年末大掃除が行われていたのだ。その名も「姫路城クリーン作戦」。作戦を完了した隊員の皆さんが、車の中からべんべんに手を振ってくれる。二〇一八年もいよいよ終わりだ。べんべん、一年おつかれさまでした。今年も三井寺の広報、がんばっていきましょう。

ルート図




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