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第十六番札所 音羽山 清水寺

べんべんと行く西国三十三所霊場めぐり
御朱印

今年最初の霊場めぐりは、京都市東山区の「音羽山 清水寺」。言わずと知れた「清水さん」である。古くからその霊験で名高い寺であることはもちろん、いまや外国人の間でもトップクラスの人気を誇る観光スポットだ。過度の人混みを避けるため、朝早い時間からの取材となった。いつもの取材と違い、まだあたりが薄暗い。

べんべんと行く西国三十三所霊場めぐり

早朝の清水寺、まだ参詣者もまばら

境内へ向かう道は清水坂、二年坂、三年坂などいくつかあるが、取材班は坂を上るのが大変なべんべんのために車で仁王門近くまでつけた。車を降り、坂の上に立って街の方を振り返ると、遠くの方に少しだけ虹が架かっているのが見える。「今年最初の取材でこれは幸先いいべん!」と、べんべんも大喜び。重要文化財の仁王門前や三重塔前で記念撮影をして、まずは本堂へ向かった。

インバウンドと新型肺炎

比較的早い時間にも関わらず、すでに多くの観光客が寺を訪れている。そして、これまで巡った寺に比べると、やはり外国人観光客の割合が明らかに高い。半数以上と言っていいかもしれない。「これがインバウンド効果べん」と、べんべんが珍しく観光用語をつぶやく。とりわけ中国人観光客と見られる人々が多く、そのほとんどがマスクを装着している。取材日の少し前から連日世間を賑わせていた新型肺炎の影響だろう。べんべんは、そんな中国人観光客たちとの記念撮影にも快く応じながら進んでいく。「みんな気遣ってくれてるべん。早くおさまってほしいべん」この記事を書いている間も、おさまるどころか広がり続ける新型肺炎。早期の収束を願うばかりである。

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外国人にも人気抜群のべんべん

能「三井寺」の観音様
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国宝の本堂は修理中、左はいつもの雄姿

「音羽山 清水寺」は、「清水の観音さん」として古くから親しまれている。開創は奈良時代末の七七八(宝亀九)年、大和の延鎮上人が夢告を受けて北へ向かったところ音羽の滝で行叡居士に出会い、霊木を授けられて観音像を彫り、滝上の草庵に祀ったことが始まりとされる。その後、征夷大将軍・坂上田村麻呂が上人の教えに導かれて妻とともに深く観音に帰依し、上人と力を合わせて仏殿(本堂)を建立し、御本尊「十一面千手千眼観世音菩薩」を安置したという。平安時代に入ると観音信仰の高まりから広く篤い信仰をあつめ、その霊験や参詣の様子は『源氏物語』『枕草子』『今昔物語』など数多くの文学に見ることができる。「能の『三井寺』にも出てくるべん。三井寺のホームページを見るべん」とべんべんが教えてくれたので、言われた通り見てみたところ、以下のようなあらすじが紹介されていた。

 「能「三井寺」は、中秋の名月の三井寺を舞台に親子の再会を描いた名曲として知られている。わが子をさらわれた母が、狂乱状態となって、清水の観音さまのお告げに従い、三井寺を訪れ、鐘を撞くことが機縁になって子どもとめぐり会う、というストーリーである。」

清水寺と三井寺の双方が舞台となった謡曲、ということらしい。両者にこんな繋がりがあるとは知らなかった。「霊験あらたかな観音様に、べんべんも大切なことをお願いするべん。観音様の力でも借りないと、もはやべんべん一人ではどうしようもないべん」と、神妙な顔つきでべんべんが話す。一体何を願うつもりなのだろうか。

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ご朱印をいただき奥の院へ、京都タワーを望む

清水の舞台

本堂は、幾度かの焼失を経て江戸初期の一六三三(寛永十)年に再建された国宝。南正面に懸け造り・総檜板張りの「舞台」を張り出しており、「清水の舞台」として広く知られている。二〇一七年より檜皮屋根の葺き替え工事が行われ、昨年末に完了したばかりとのことで、まだ素屋根に覆われていた。今年の三月頃にはこの素屋根も撤去され、約五十年ぶりに新たな檜皮の本堂がお目見えするとのこと。べんべんは観音様に手を合わせ、三井寺一行とともにお経を誦み、本堂の別称「大悲閣」の御朱印を頂いた。べんべんの登場に、職員さんたちが喜んでくれる。

さらに奥へ進むと、奥の院や阿弥陀堂が建ち並ぶ場所へ出て、京都市内を一望することができる。絶好の撮影スポットだ。遠くに見える京都タワーを背に、しばらくの間記念撮影。右手には、先ほど後にしてきた本堂が見えている。張り出した舞台の下はなかなかの高さの崖である。江戸時代、「観音様に命を預けて飛び降りれば、命は助かり願いがかなう」という民間信仰が流行し、相当数の人々が飛び降りたことから「清水の舞台から飛び降りる=非常な決意をして物事を実行する」ということわざにもなった。「べんべんも、そのくらいの気持ちで願わなきゃいけないべん…」やはり、尋常な願いではなさそうだ。しかしなんとなく予想がついてしまったような気がする。べんべんが聞いてほしそうにこちらをチラ見してくるが、気づかないふりをしながら次の目的地へ急いだ。

大人気、音羽の滝

続いて、本堂東側の階段を下り「音羽の滝」へ。清水寺開創の起源であり、寺名の由来ともなった高さ四メートルの滝で、「清水の舞台」と並ぶ定番スポットとして大変な人気がある。流れ出る水は古くから「金色水」「延命水」と呼ばれ、清めの水として尊ばれてきた。三筋に分かれて落ちる水を柄杓に汲んで飲み、学業成就や延命長寿などを祈願する。滝の奥には不動明王が祀られており、水垢離の行者も訪れるそう。

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音羽の滝にも外国人の行列が。右はご詠歌の奉納額「松風や音羽の滝の清水をむすぶ心は涼しかるらん」

筆者は高校生の頃に修学旅行でこの地を訪れたのだが、あまりに人が多すぎて数分で移動させられた思い出がある。今日は朝早いこともあり比較的空いているが、やはりそれなりの人数が途切れることなく並び次々に水を飲んでいる。べんべんも観光客の邪魔にならぬよう、その様子を遠くから見守った。そして「三井寺にも毎日このくらい来てくれたら、べんべん毎日でも出動するべん…」とポツリ。正直なところ、参拝する側にとっては人が少なめのほうがゆっくりできてありがたいのだが、そういうわけにもいかないのが現世の世知辛さというものだ。今年も三井寺にたくさんのご縁がありますように、ということで、次は縁結びの神・大国主命を祀る地主神社へと向かった。

縁結びの神様

地主神社は、清水の舞台を出てすぐ左に行ったところに位置している。大国主を主祭神とし、縁結びの神様として若い女性やカップルを中心に人気を集めるスポットだが、その歴史はとても古く、創建は日本建国以前とされる。近年の研究により、境内にある「恋占いの石」は縄文時代の遺物であることが確認されたという。古事記で語られる「国譲り」以前の古代日本の息遣いが感じられる神社である。べんべんは本殿にお参りし、三井寺に良縁が訪れるよう祈った。

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こちらも人気の地主神社

境内の奥へ進むと、どんな願い事でもひとつだけなら必ず「おかげ(ご利益)」がもらえるという、一願成就の「おかげ明神」がある。拝殿の後方にあるご神木は「いのり杉」と呼ばれ、昔は丑の刻参りのわら人形が打ち付けられていたそうで、その釘跡を実際にいくつも確認することができる。「怖いべん。人を呪わば穴二つべん……!」確かに恐ろしい話だが、実際に神様が受け止めてくれるのは妬みや恨みの底にある「助けを求める声」であるという。本当の声を聞き、祓い清めて良縁へと導いてくれる。何かにとらわれてしまった時は、助けを求めに行ってはどうだろうか。

べんべん、今年の抱負

取材を終えても昼食には早すぎる時間だったので、喫茶でひと息つくことに。抹茶のケーキとコーヒーのセットを食べながら、べんべんが観音様に何を願ったのか念のため聞いてみた。「それはもちろん、ダイエットべん」と、べんべんが即答。やはり大した願いごとではなかったが、本人は真剣のようだ。「自分の力でどうにかしたいのは山々べん。でも、べんべんファンのみんなが、おいしいものたくさんくれるべん。やっぱりそれは残さず食べたいべん?人気者はつらいべん。もはやべんべんの力だけではどうしようもないべん」ファンを思うあまり、なかなかダイエットが成功しない、ということらしい。しかし筆者は知っている。大晦日、べんべんが年越し蕎麦ならぬ年越しマクドナルドを敢行し、その様子をFacebookで嬉しそうに報告していたことを。しかも、食べたハンバーガーの数が四つであったことを。ポテトとドリンクもセットになっていたことを。そして今、彼の目の前にはスイーツが並んでいる。「それこそ今年は、清水の舞台から飛び降りるくらいの気持ちでダイエットに励むべん!」と、ケーキを頬張りながら明るく話す広報僧。一体どこまで本気なのか?ファンの皆さんにも、今年のべんべんを注意深くお見守り頂きたいと思う。

べんべんと行く西国三十三所霊場めぐり

午前9時を過ぎると参詣者も増えだし、門前も賑わいをみせはじめた

ルート図




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