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雨ニモマケズ

『雨ニモマケズ手帳』
▲『雨ニモマケズ手帳』

童話作家の宮沢賢治の代表作に『銀河鉄道の夜』や『風の又三郎』など数数が上げられるが、彼を最も有名にしているのは詩「雨ニモマケズ」であろう。

雨ニモマケズ/風ニモマケズ/雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ/丈夫ナカラダヲモチ/欲ハナク/決シテ瞋ラズ/イツモシヅカニワラツテヰル/一日ニ玄米四合ト/味噌ト少シノ野菜ヲタベ/アラユルコトヲ/ジブンヲカンジヨウニ入レズニ/ヨクミキキシワカリ/ソシテワスレズ/野原ノ松ノ林ノ蔭ノ/小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ/東ニ病気ノコドモアレバ/行ツテ看病シテヤリ/西ニツカレタ母アレバ/行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ/南ニ死ニサウナ人アレバ/行ツテコハガラナクテイイトイヒ/北ニケンクワヤソシヨウガアレバ/ツマラナイカラヤメロトイヒ/ヒデリノトキハナミダヲナガシ/サムサノナツハオロオロアルキ/ミンナニデクノボウトヨバレ/ホメラレモセズ/クニモサレズ/サウイフモノニ/ワタシハナリタイ

  宮沢賢治
▲宮沢賢治
賢治が結核で亡くなる二年前に病床で手帳に書き付けたこの三〇〇字ほどのメモを、近代以来、美しい詩や深い詩はあるが、これほど高い理想を表現している詩はない、と讃えたのは哲学者谷川徹三だった。

 賢治は生涯、法華経の行者であった。二十四歳のとき、田中智学の主宰する国柱会に入信して、以来、亡くなるまで法華経を説いた。遺言にも『国訳妙法蓮華経』を一〇〇〇部印刷し、知己に頒布するよう書いた。経の仏意に触れて無上の道に導かれるようにするのが、自分の生涯の仕事だと。「雨ニモマケズ」は法華経の祈りを描いたものだといわれる。

斎藤宗次郎
▲斎藤宗次郎
 
しかし、最近、この詩にはモデルがいたと考えられている。内村鑑三の無教会主義キリスト教の信者で、斎藤宗次郎が、その人である。内村の高弟だ。内村の最期を看取った唯一の弟子で、『内村鑑三全集』全二〇巻の編集に尽力した人として知られる。

 宗次郎は花巻の人である。地元の小学校の教師をしていたが、キリスト教徒であることを理由に、学校を追われた。学校を辞めた宗次郎は、新聞販売を兼ねる書店を経営し、内村流のキリスト教の伝道を志した。自ら新聞の配達に精を出す。朝三時に起き、雨の日も風の日も、大風呂敷を背負って走った。

配達をしながら、一〇歩走っては神に感謝し、また一〇歩走っては神を讃美した。配達や集金の際には病人を見舞い、子どもたちには菓子を分け、貧困の者には小銭を与えた。出会った人々の悩みに耳を傾け、土地の人たちに慕われた。画家の中村不析は、そんな宗次郎を「花巻のトルストイ」と評した。その後、繁盛する新聞販売店を畳んで東京に出、百姓をしながら内村の伝道に従った。

 宮沢賢治の父、政次郎が宗次郎と昵懇の間柄だった。賢治も、宗次郎のことを尊敬していた。彼から内村の話を聞き、『聖書之研究』など内村の著作もたくさん読んでいた。若い頃の賢治はよく教会に行っていたと弟の清六はいう。賢治の叔母二人も、宗次郎に導かれてか、内村の門下になっている。賢治とキリスト教の関わりには深いものがある。
 





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