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随喜の功徳

私どもの宗教社会では在家の方々にとっては耳慣れない、難解な言い回しがよくなされます。「随喜」もその一つでしょう。

他宗派の大徳やご来賓をお迎えして法要などを行った際、奉行役のお坊さんが「本日はご多用にも関わりませず、ご随喜賜りましてまことにありがとうございました」などと最後に挨拶を行います。ここにいう「随喜」は、法会に列席いただき、ともに経典を読誦し、焼香いただいたことへのお礼の意味と解釈できます。慶事での挨拶のなかで使われるならば何の疑問も感じない訳ですが、これが弔事の場合であっても同じ文言なので、在家の方にとっては、喜ぶとは何事ぞとなる訳です。

そこで、経典にいう「随喜」はどういう意味に解釈されているのか考えてみたいと思います。

『法華経』随喜功徳品には、12回随喜という言葉が出てきます。その内、随喜功徳とあるのは3回です。まず、弥勒菩薩が世尊(釈尊)に「世尊滅度後 其有聞是経 若能随喜者 為得機所福」(世尊の滅度の後に それこの経を聞くことありて 若し能く随喜せば 機所(いくばく)の福を得為(うべく)きや『岩波文庫』)と偈文をもって質問します。この問いに対して釈尊は、比丘、比丘尼、優婆塞(男性の在家信者)、優婆夷(女性の在家信者)が法華経を聞いて随喜し、その感動を父母、親戚、友人達に「随力演説」(自分の能力に応じて法華経を弘める)したとして、その人がまた感動して他の人に「随力演説」をし、そうして五十人目の人が法華経の一偈(一節)を聞き心から感動した時の功徳は、大施主が財施、法施を尽くした功徳の百千万億倍であると説かれました。

いわんや、法会の場において最初に法華経を聞き、ありがたいと心から感動した人の功徳は無量無辺であり、何ものにも比べることができないとも説かれています。経典には「最後第五十  聞一偈随喜 是人福勝彼 不可為譬喩 如是展転聞 其福尚無量 何況於法会 初聞随喜者」(最後の第五十の 一偈を聞きて随喜する この人の福は彼に勝れたること 譬喩(たとえ)ること為(う)べからず かくの如く展転(めぐりめぐ)りて聞く  その福なお無量なり 何(いか)に況んや法会において 初めて聞きて随喜せん者をや『岩波文庫』)。

以上のことからも「随喜」は”心から感動する”と解釈されていることが解ります。感動して人に伝える。そして実践する。その功徳が述べられているのです。特にこの部分を「五十展転の功徳」といい、法華経が経中の経、経王といわれる所以です。




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