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明治の求法僧 慧海(七)

カン・リンポ・チェ(カイラス山)の巡礼途中、「三途の脱れ坂」と呼ばれる厳しい登り坂で、慧海は驚くべき懺悔の言葉を聞いたと言っています。チベット仏教ではカン・リンポ・チェは釈迦牟尼如来と讃えられていますから、ある悪党が「ああ、カン・リンポ・チェよ。釈迦牟尼仏よ、三世十方の諸仏菩薩よ。私がこれまで幾人かの人を殺し、あまたの物品を奪い、人の女房を盗み、人と喧嘩口論をして人をぶん撲ったりした、いろいろの大罪悪をここで確かに懺悔しました。だからこれで罪はすっかりなくなったと私は信じます。これから後、私が人を殺し、人の物を奪い、人の女房を取り、人をぶん撲る罪も、この坂で確かに懺悔いたしておきます」と。とんでもない人がいたものです。

 カン・リンポ・チェの巡礼を済ませた慧海は、いよいよ首都ラサを目指します。明治三十三年(1900)九月中旬でした。ラサまで1400キロ。安穏な旅ではありませんでした。野宿はあたりまえで、吹雪のときなどは、遊牧民のテントに一夜の宿を求めて回っても、ことわられてばかり。ようやく母と娘が受け入れてくれ、命を繋ぐことができたり、盗賊に襲われて食料や金品を奪われ、雪を食べて飢えと喉の渇きをしのぎ、四日後に巡礼の青年に会って、彼らのテントで食事をご馳走になり、まさに九死に一生を得た思いであったと記述しています。

  十二月五日、チベット第二の都市シガツェに着いています。シガツェにはダライ・ラマ法王に次ぐ地位にあるパンチェン・ラマ法王が住持するタシルンポ寺があり、慧海も十日間投宿しました。法王に謁見しようと思ったのですが、生憎法王は離宮に行かれていて叶いませんでした。慧海がタシルンポ寺を発つその日に、パンチェン・ラマ法王が離宮からタシルンポ寺に戻ってくるということなので、その行列を見学しています。その様子は「大ラマの出てくる前から僧俗の者が香を焚いて待ち受けている。彼らは行列をじっと見ているというより、礼拝して地上に打ち伏してしまっている人が多い。馬がおよそ三〇〇騎ばかりで、その大ラマは金襴あるいは異様な絹布類で装われてある宝輦に乗ってやって来た。それは実に立派なもので、一日泊まって見るだけの価値は充分あった」と記しています。

  ダライ・ラマもパンチェン・ラマもいわゆる「活仏」で、ダライ・ラマは観音菩薩の化身とされ、パンチェン・ラマは阿弥陀如来の化身とされて、ともにチベット仏教においては絶大な信仰を得ています。(梅村敏明)




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