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智証大師円珍の生涯


ご誕生

円珍は、弘仁五年(814)、讃岐国(香川県善通寺市)に生まれました。 父は和気宅成、母は佐伯氏の娘で、弘法大師空海の姪にあたります。 (※関連名宝「円珍俗姓系図」)

十歳で『毛詩』、『論語』、『漢書』、『文選』を習い、天長五年(828)に叔父の僧仁徳(伝教大師最澄の弟子)に従って上洛。 翌天長六年に仁徳に案内されて最澄が開いた天台宗の総本山比叡山延暦寺に登り、義真(778〜833)に師事しました。


誕生寺・金倉寺


大師降誕浴潅井

比叡山入山

この当時、正式な僧侶になるには国家試験を受けなければなりませんでした。 合格者は、年分度者とよばれ、比叡山では、年に二人しか年分度者を出せない決まりでした。 十九歳の春、円珍はこの試験に抜群の成績で合格し、 翌年には、師義真和尚を拝して菩薩戒を受け一人前の僧侶となり、 比叡山の掟に従って一期十二年の籠山(ろうざん)修行に入られます。


黄不動尊の感得

十二年籠山中の承和五年(838)冬、座禅中の円珍の前に金色に輝く不動明王が忽然と現れ、 「我は金色不動明王である。仏法の真髄を伝える汝を守護するために示現するものなり。 仏の教えを究めて迷える衆生を導くべし」と告げられ、その尊容を描き、 常に礼拝するように命じられます。 これこそ大師一生の信仰を決定づけた黄不動尊で、以後、大師に危機迫るときには必ず影現し大師を守護し続けます。 このときの尊像が日本三大不動の一つとして有名な秘仏・金色不動明王(黄不動尊)画像です。


三井修験道の始まり

籠山修行を満じられた円珍は承和十二年(845)、役行者の後を慕い大峯、葛城、熊野三山を巡礼し、 那智の滝に参籠されます。この事跡こそが円・密・修験の三道融会をかかげる三井修験道の起源をなすものであり、 これ以降、大峯山は智証門流をはじめとする修験者の活躍により霊山として発展していくことになります。


大峰山

新羅明神の示現

修行を積まれた大師は、承和十三年(846)、 三十三歳にして比叡山の大衆に推されて比叡山一山の真言学頭となりますが、 この頃より大師の夢に山王明神が現れ、唐に渡って法を求めるよう勧められることがあり、 ついに仁寿三年(853)、入唐求法の旅へと出発されます。


入唐求法への旅

六年間にわたる在唐中、天台山国清寺において日本からの留学僧のために止観堂(天台日本国大徳僧院)を建立するなど、 各地を遍歴し種々の法門を伝授されました。 長安では青竜寺法全和尚から「両部大教阿闍梨位潅頂法」という密教の奥旨を伝授され、 法全秘蔵の「五部心観」を付与されます。 この盛唐密教の精髄を示す「五部心観」は、いまも三井寺に大切に伝持されています。 (※関連名宝「尚書省司門過所」)


ご将来経典と唐院の創建

円珍は四百四十一部一千巻の貴重な経典をたずさえ帰朝されました。 これらの経典類は、新羅明神の夢告により園城寺唐院に永蔵されることになります。 新羅明神は、帰朝の船中で円珍の前に影現された守護神で、 その霊像は秘仏として三井寺に祀られています。 (※関連名宝「福州温州台州求法目録」)


三井寺の再興

貞観八年(866)五月二十九日、太政官牒をもって真言・止観両宗弘伝の公験(くげん)を賜わり、 円・密・禅・戒の四宗に併せて修験の一道を加える天台寺門の教法が正式に認められました。 同年には三井寺の別当職にも任じられます。

この職は長吏(ちょうり)と呼ばれ、今日で百六十二代を数えています。

太政官給公験牒
太政官給公験牒 貞観八年五月十九日 巻末円珍手記 平安時代


晩年の付法とご入滅

貞観六年(864)七月、宮中仁寿殿において大悲胎蔵潅頂壇が設けられ、 円珍が親しく清和天皇、良房など殿上の貴紳に潅頂を授けました。 貞観八年(866)、皇太后明子(梁殿皇后)の護持僧となりました。

貞観十年(868)には第五代天台座主となり、寛平三年(891)十月二十九日、 七十八歳をもって入滅されるまで二十四年間の長きにわたり仏法の興隆に尽くされました。 その門下には五百余人の弟子が育ち、教えを受けた人々は三千余人といわれています。
延長五年(927)、醍醐天皇より智証大師の諡号(しごう)が贈られました。 この勅書は、三蹟で高名な小野道風が書いています。 (※関連名宝「制誡文」)





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