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〔今回のテーマ〕フェルメール


西欧諸国に先駆けて市民社会を実現した十七世紀のオランダ。この時代を生きたフェルメールの絵画には、独特の絵画的時間、現実にはどこにもない不思議な時間が流れている。

小林 頼子
千葉 成夫
ツヴェタン・トドロフ
『フェルメールの世界』
『奇蹟の器』
『日常礼讃』

1).
以前みた映画に『迷宮のレンブラント』というのがあった。天才的な腕を持つ贋作画家が国際的な美術品詐欺をめぐり殺人事件に巻き込まれていく娯楽作品。ハリー・ドノバンは、ニューヨークで贋作を描く生活に嫌気がさしていた。そんなある日、レンブラントの贋作依頼が舞い込む。これを最後にと引き受けた彼は、ヨーロッパへ渡り、巨匠の作品を綿密に研究し、専門家さえ欺くほどの完璧な贋作を完成させる。この出来映えに欲を出した依頼者は、オークションに出品して一攫千金を企てる。ところが、ただ一人、贋作と見破った美貌の女性鑑定人がいた…。

さて、ハリーはレンブラントの筆法を完璧になぞるだけでなく、彼と同時代のキャンバスや額縁、絵の具などを探し求め、画面にススをまき散らし熱を加え古色をつけていく。なにが面白いかといって、この贋作を描きあげてていく過程が、美術史上名高いファン・メーヘレンによるフェルメール贋作事件を下敷きにしたとしか思われなかったからである。


2).
第二次世界大戦中のナチスよる名画収集は有名な話だが、かのゲーリング元帥が購入したフェルメールの作品が、戦後、連合軍によって押収された。この購入ルートの捜査で、浮かび上がってきた人物がファン・メーヘレンであった。彼は一流の贋作作家、つまり、それまで一度も見破られたことがないということだが、国宝級の作品をナチに売った容疑で投獄されてしまう。彼は、対独協力罪と贋作の罪との板挟みになって、ついに数点のフェルメール作品を贋作したことを自白する。オランダの裁判所で裁かれることになった彼は、自分が描いた贋作であることを証明するために、なんと公判のなかで実際に描いてみせたのである。


3).
まだ記憶に新しいことだが、去る2000年、大阪市立美術館で「フェルメールとその時代」展が開催された。展覧会では五点のフェルメール作品が一堂に会したが、その内、近年、真贋をめぐって大議論を巻き起こしている《聖女プラクセデス》が含まれていた。もとより素人のぼくなどが真贋の忖度をする資格も能力もないけれど、それまで写真でしか知らなかった作品に接したことで、あらためてフェルメール(一六三二〜七五)とその時代の画家たちのことに興味をもった。


4).
『フェルメールの世界 17世紀オランダ風俗画家の軌跡』
小林頼子
先に大部の研究書『フェルメール論』を上梓されている小林頼子氏フェルメールの世界』は、コンパクトながらも実に中身の濃い入門書である。本書での著者の狙いは、「忘れられた謎の天才画家」といった神話に惑わされることなく、華麗な言葉の綾に彩られてきた思弁的世界からフェルメールを取り戻すことにある。

著者は、新出史料やX線写真等による最新の研究成果、作品受容の歴史的変遷や先の贋作事件をふまえた真贋問題など多角的な視点から緻密な論証を丹念に重ねることによって、フェルメール神話を解体していく。

こうした作業から鮮明に浮かび上がってくるのは、フェルメール作品の特質であると同時に専門家でさえ陥りやすい陥穽、即ち造形芸術における言葉の領分と絵画の領分の問題である。

フェルメールの風俗画では、…画面は言語に還元されるような意味を拒み、純粋に造形的な場へと近づいてゆく。フェルメールの作品が他のオランダ風俗画家の作品に似ていながら、そのどれにも増して現代のわれわれに強く訴えかけてくるとすれば、その造形性が、近代の絵画のように、他のいかなる芸術とも異なる絵画独自の領分を垣間見せてくれるからだ。

確かに、近代を経てきた現代人からみるとフェルメールは時代を超えている。ところが、こうした特色が思弁的な印象批評の横行を許し、贋作事件さえ引き起こす原因にもなったのである。「フェルメール作品の美的特質を難解なレトリックを用いて浮き彫りにするといった記述が、どんなに大きな楽しみを与えるものだとしても、作品それ自体に任せるべき領域を冒しているばかりでなく、作品の良否を判断するに際していかにも無力」であると著者の見解は明白である。そして、ぼくたちが歴史的所産である過去の絵画作品を前にした時、とりわけ権威に頼って作品に接したり、予備知識などなくても要は現代の視点に立って良否を判断すればよしとすることの危険性を、決して理屈ではなく具体的に教えてくれる。


5).
『奇蹟の器 デルフトの フェルメール』
千葉成夫
現代美術の評論家・千葉成夫氏の『奇蹟の器』も、フェルメールの絵画、即ち「奇蹟の器」を言葉の領分と絵画の領分の視点から捉えている。

眼には、眼に固有の知覚体験が形成されていて、それは、ほとんど、言葉からは自立した体験の層をつくりあげている。言葉は、その層のごくわずかな部分をしか言う(とらえる)ことができない。

本書は、フェルメールの生涯を逐いながら彼の生まれ育ったデルフト、現実のデルフトの街だけでなく、「プルーストの黄色い壁」で有名な作品《デルフト眺望》にも多くの頁を割いている。

プルーストは、畢生の大作『失われた時を求めて』のなかで、画家ベルゴットがこの《デルフト眺望》を前に「黄色い小さな壁面」とつぶやきながら死んでいく場面、その「特権的瞬間」を言語化することによって、人の死と拮抗し、それを越える芸術の力、その輝きを美しい言葉で表現した。本書でも著者は《デルフト眺望》を前にした愉楽の体験をあますところなくぼくたちに語ってくれる。

フェルメールの絵のまえに立つたびに生まれてはじめて絵というものを眼にすると感じることに、僕は言いようもない感動をおぼえるのである。


6).
『日常礼讃 フェルメールの時代のオランダ風俗画』
ツヴェタン・トドロフ
文芸批評家、文学理論家として著名なツヴェタン・トドロフは、一九三九年、ブルガリアのソフィアに生まれた。文学を本職とする著者による『日常礼讃フェルメールの時代のオランダ風俗画』は、十七世紀オランダに花開いた日常生活を描いた「風俗画」を簡潔かつ縦横に論じた好著である。

ステーンやテル・ボルフ、デ・ホーホやフェルメール、レンブラントやハルスが、さまざまな物それ自体にふくまれる美しさをわわわれに発見させるとき、彼らはどんな泥でも黄金に変えることのできる錬金術師として振る舞っているのではない。かれらは中庭を横切るあの女性、リンゴの皮をむくあの母親が、オリュンポス山の女神とおなじほど美しくなりえることを理解し、その確信を共有するようわれわれに誘いかけるのだ。…彼らはわれわれに…世界をよりよく見つめることを教えてくれる。

オランダ風俗画誕生の経緯、限られた地域でごく短期間に数多くの優れた画家が生まれた要因を解明し、西欧絵画の伝統のなかに手際よく位置づけていく。また、フェルメールと同時代のオランダ画家たちについても示唆に富む知見が数多く散りばめられている。同じ著者によるファン・エイクなどルネッサンス期のフランドル絵画を扱った『個の礼讃』も併読をお勧めする。  とはいえ、本書は美術史の解説書にとどまらず、「今日、日常生活の新たな頽廃の形態に直面し、脅かされているわれわれ」が耳を傾けなければならない芸術からの声も聞こえてくる。

(園城寺執事 福家俊彦)






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