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〔今回のテーマ〕フランス革命 前編


現代の政治に関する多くの観念を生み出したフランス革命。十八世紀ヨーロッパという歴史の舞台に登場しては消えていったユニークな人物から現代を考える。

種村 季弘
ボーマルシェ
ツヴァイク
アナトール・フランス
『山師カリオストロの大冒険』
『フィガロの結婚』
『ジョゼフ・フーシェ』
『神々は渇く』

1).
ドイツの哲学者ヘーゲル(一七七〇〜一八三一)は、いまではごく一部の専門家を除いて時代遅れな思想家とみなされている。しかし、彼がまだチュービンゲン大学の学生だった頃、隣国フランスで起こった大革命に熱狂し、友人のヘルダーリン(一七七〇〜一八四三)、シェリング(一七七五〜一八五四)と共に「自由の樹」を植えたという有名な逸話が残っている。彼ら三人は共にドイツを代表する詩人あるいは哲学者として成長するが、彼らの思想の根底に時代の息吹を敏感に感じとる若々しい精神が息づいていたことを無視することはできない。

彼らは、アンシャン・レジーム(旧制度)から大革命へ、その後、革命が急進化するなか恐怖政治と革命のヨーロッパへの輸出、ナポレオンの台頭と破滅、そして王政復古へといたる激動の時代を生きた同時代人として、革命への熱狂と狂乱、暴走と挫折、光と闇とを自らの思考の糧としながら隣国ドイツにあって壮大な思想を形成していった真摯で熱い思想家たちであった。

へーゲルの名を一躍世に出した最初の大著『精神現象学』は、一八〇七年、ナポレオン軍のイェーナ入城の跫音を聞きながら脱稿の筆を急いだという有名な話もあるように、フランス革命は、彼らにとって自らの人生にかかわる世界史的事件であると同時に何よりも十八世紀ヨーロッパが共有していた「自由」の問題に他ならなかった。

まさに彼らは、フランス革命を自らの運命として受け止めたのである。


2).
今はどうか知らないが、ぼくの中学高校時代には、フランス革命は腐敗堕落した王権と専制君主制の暴政に堪えかねて旧制度を覆し、「人間は生まれながらにして自由で平等である…」ではじまる人権宣言を実現しようとした偉大な事件、あるいは支配階級である封建貴族に対し新興ブルジョワジーが起こした市民革命であると歴史の授業などで教わってきた。いまも日本人の多くは、そうした印象しか持ってないのではないか。しかし、こうした見解ほど事実から遠いものはない。

吉田健一も『ヨオロッパの人間』で「暴政があるなしに拘らず革命が暴政によって起されるものでないことに就てはそのような全面的な暴政が非凡な手腕の持ち主によってしか行い得ないことを思えば足りる」と述べている通り、事と次第はさほど単純ではない。

また、同氏は、十八世紀のヨーロッパは文明の円熟のひとつの頂点に達した、とも述べているが、フランス革命を少しでも理解するには、太陽王ルイ十四世の長い治世が終わった一七一五年以降、大革命にいたるまでヨーロッパ全体が共有していた空気、いわば時代精神を知る必要がある。そこで見えてくるのは、フランス革命が、過去を全面的に拒否し、政治によって新しい世界をつくろうとした運動であって、現代にも通じる課題、善きにつけ悪しきにつけ、政治によって社会や人間が変わりうることを世界に示したということであった。人権宣言とか自由、平等、博愛の三原則といった革命が目指したものは十八世紀を通じて一貫して提唱されてきたものである。うがった見方をすれば、王室や貴族自らさえも、この十八世紀の雰囲気を共有し、それ故に革命に協力してしまったという観察もできないこともない。

また、大量殺戮というようなことも、もっぱら革命に加わった側の人間によって断行されたのであるから、ともかく革命が良いことずくめのバラ色の偉業でなかったことだけは明白である。

フランス革命なんて、むかし学校で習っただけで自分と関係無いし、いまさら遠い国の出来事について勉強するなど衒学的な趣味にすぎないよ、と言われそうだが、なにも歴史の勉強をするわけではなく、ただ革命の時代に跳梁跋扈した一癖もふた癖もある実に奇妙な人びとの生き様を知ることだけでもすこぶる興味深いことである。平和な時代であれば大過なく幸福な人生を送ったはずの人が、時代の波に否応もなく呑み込まれていったり、普通なら名が世に知られることもなかったような人物が人びとの生殺与奪の権利を握るような地位についたり、反対に偉大な人物が世に埋もれ、あるいは若くして命を失ったりと、一言で乱世といってしまえばそれまでだが、激動の時代を生きたユニークとしか言いようのない様々な人物たちの浮き沈みを知ることは、現代のような価値観が多様化し、いわば何でもありの自由な時代にこそ意味のあることのように思われる。

ここに紹介する人物たちは、大革命の主役を担った人たちではない。むしろ革命のさなかにはすでに監獄に入っていた者もいる。しかし、彼らは革命に直接拘わることはなかったにもかかわらず、十八世紀ヨーロッパが産み落とした時代を象徴する人物たちなのである。


3).
『山師カリオストロの大冒険』
種村季弘まず最初は、ジュゼッペ・パルサモ=カリオストロ(一七四三〜九五)である。この名前、モーリス・ルブランの怪盗リュパン・シリーズの『カリオストロ伯爵夫人』や日本の名作アニメ・ルパン三世の『カリオストロの城』でご存じの方も多いかと思うが、シチリアはパレルモ生まれのれっきとした実在の人物である。種村季弘『山師カリオストロの大冒険』は、日本語で読める評伝としては、いまでも唯一無二の労作である。この希代の怪人は、美貌の妻と共にヨーロッパを股にかけ、各地で医術や霊媒実験、透視術や予言などの奇蹟を演じた手練れの錬金術師、フリーメーソンの大立者であった。彼は奇蹟を演じるのに用いた仕掛け「魔法の鏡」さながら、革命前の世相を映し出す鏡のごとく時代の趨勢を的確に読みとり、貴族や社交界を手玉にとった当代一流の詐欺師でもあった。

カリオストロという一人の男に帰せられたありとあらゆる矛盾する諸要素は、十八世紀末という時代そのものに内在する矛盾であった。むしろカリオストロは、彼一個が矛盾をことごとく具えた複雑な人格であるよりは、「特性のない男」であるその無垢な単純さのうちに時代の混乱を映し出した鏡だったのではなかろうか。

カリオストロという名の、それ自体は空虚な、時代を映す鏡のなかに鮮明な像を結ぶために、この男がしだいににじり寄ってきたときが大混乱の、とはつまり十年後の革命の前ぶれとなった。

彼の名を歴史にとどめることになったのは、なんと言っても一七八五年、王妃マリー・アントワネットに関わる一大スキャンダルを巻き起こし、革命への引鉄を引いた王妃の首飾り事件であった。この事件はド・ラ・モット伯爵夫人を名乗るジャンヌ・ド・サン=レミ・ド・ヴァロワを主犯にブルターニュの大貴族ロアン枢機卿(一七三四〜一八〇三)を高価な首飾りをネタに仕掛けた詐欺事件であった。くだんのカリオストロは、軽薄才子ロアンの信が篤かったために連座して捕らえられてしまう。さしもの彼も運が尽きたのか、以後は急坂を下るように革命の年にはローマの異端審問法廷に逮捕され、終身囚として一七九五年、波乱の生涯を閉じている。


4).
『フィガロの結婚』
ボーマルシェ
『フィガロの結婚』と言えば、モーツァルトのオペラで有名であるが、原作はピエール=オギュスタン・カロン・ド・ボーマルシェ(一七三二〜九九)による脚本である。この原作によるパリでの上演は大革命の序幕となったと評されるが、モーツァルトの歌劇では、原作のもつ毒をすべて取り去った上でウィーンの宮廷で上演され、これが今日まで続いている人気オペラであることは、あまり知られていない。

さて、ボーマルシェは、時計職人から王室に取り入り、やがて貴族に成り上がった。彼は劇作家であるばかりかルイ十五世の特命を受けてロンドンに赴いたり、アメリカ独立のため武器調達会社を設立したり、パリに水道を供給する画期的事業に出資したり、はたまた大思想家ヴォルテール全集の刊行をしたりと自らの損得を顧みずに八面六臂、波瀾万丈の生涯をおくった。この風雲児についてはエドゥアール・モリナロ監督による映画『ボーマルシェ/フィガロの誕生』があるのでご覧になられた方もおられるかも知れない。

かつてフランス文学者・辰野隆は『フランス革命夜話』で「ボーマルシェは蓋しフランス文学の孫悟空か」と秀逸な評を下しているが、やはり彼の生涯の絶頂は、一七八四年四月二七日の『フィガロの結婚』の初演であろう。彼の創造になるフィガロという痛快な魂を蔵した人物こそ、貴族の不正を糾弾し、思想や言論の自由を賛美する十八世紀ヨーロッパの精神を体現する人物であった。

ここではヴィクトル・ユーゴー『エルナニ』と並び評される有名なフィガロの長セリフから引用しておきたい。

伯爵様、…あなたはご身分の高い殿様だものだから、大した能力をお持ちだと思ってらっしゃる!…貴族、財産、身分、階級、すべて揃えてふんぞり返ってる!そういった財宝を手に入れるのに、あなたは何をなさいました?生まれてきた、ただそれだけのことで、それだけのものを手にお入れになった。

それに引きかえ、このおれなんぞは、いまいましいことに、馬の骨のひとりだったから、ただ生きていくことだけのためにも、ありとあらゆる知恵、才覚を使わなけりゃならなかったんだ。

彼は急進派が勢力を強める一七九二年、ルイ十六世の処刑後にパリを脱出、亡命を余儀なくされる。ようやくパリに戻るのは血の嵐が止んだ四年後のことであった。しかし、すでに彼は過去の人となっており、一七九九年に失意のなか世を去った。

(園城寺執事 福家俊彦)






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