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〔今回のテーマ〕フランス革命 後編


現代の政治に関する多くの観念を生み出したフランス革命。十八世紀ヨーロッパという歴史の舞台に登場しては消えていったユニークな人物から現代を考える。

種村 季弘
ボーマルシェ
ツヴァイク
アナトール・フランス
『山師カリオストロの大冒険』
『フィガロの結婚』
『ジョゼフ・フーシェ』
『神々は渇く』

5). 承 前
フランスの小説家ロベール・サバチエという人の編著に『死の辞典』という面白い本がある。この中に「マクシミリアン・ド・ロベスピエールのための作者不明の墓碑銘」というのがある。「すぎゆく人よ、わが死に涙をそそぐな、もし私が生きていれば、君は死ぬだろう」というものである。

一七九二年八月から九四年七月のテルミドール反動まで、革命期フランスに恐怖政治をもたらし、多くの人びとをギロチン台に送り込んだロベスピエール(一七五八〜九四)の墓碑銘としては、ジョークとはいえ、なかなか含蓄のある言葉ではある。

フランス革命で一考に値することといえば、自由、平等、博愛という高邁な理想を掲げながら、何故、あれほどの大量流血をみたのか、それも理想を実現すべく邁進した革命勢力自らがギロチン台を生み出し、多くの無辜の人びとや有為な人物までも見境なく殺戮したのか、ということである。

この恐怖政治の中心にいた人物が他ならぬロベスピエールその人である。彼は反革命勢力だけでなくあらゆる反対者を次々とギロチン台に送りんだジャコバン独裁の張本人とされている。

しかし、彼は「清廉居士」と呼ばれていたように、その質素で篤実な生活ぶりは有名で、高潔で誠実な人柄については折り紙付きの人物であった。それ故に、彼自身としてはひたすらフランスのために自ら信じる革命を遂行しただけのことであったであろう。

確かに一般論としても清廉で正義感に燃えた人物ほど他人の不真面目を許すことができないということがある。他人への不寛容な態度は得てして生真面目な人間が陥りやすい陥穽でもある。ましてや当時の彼はいまだ三十歳を越したばかりの若さであった。

しかし、だからといって恐怖政治のすべての罪を彼の若さ故の未熟さや個人的性格に帰せることほど無意味なことはない。問題は何故、かくなる暴政を彼が行い得たのか、何故、フランスの人びとや社会はこの状況を食い止められなかったか。そこにはいかなるメカニズムが働き、どんな歴史的運命の悪戯が働いたのであろうか。


6).
この問題に明確な見取り図を提供してくれるのが、遅塚忠躬著『フランス革命』である。この本は岩波ジュニア新書の一冊であるが、決して子供向きの本ではない。総じてこのシリーズには隠れた名著が多いが、本書も「フランス革命の偉大と悲惨」を簡明かつ明解に述べた良質の入門書である。

「歴史における劇薬」というサブタイトルが示す通り、フランス革命という矛盾に満ちた世界史的事件を、一つの薬の作用が二つの現れ方をする劇薬に喩える。つまり、抗ガン剤がガン細胞を攻撃する(古い社会を変革するという偉大な作用)と同時に正常な細胞をも攻撃し副作用という悲惨(恐怖政治)をもたらしたと説明する。

痛みを伴う改革とはどこかで聞いた言葉であるが、著者は、この劇薬の構造を貴族と第三身分(ブルジョワと大衆・農民)の社会階層の力学関係として捉える。革命前のフランスは、貴族と第三身分の対立、第三身分内部のブルジョワと大衆と対立という二重の対立を抱えており、この対立の中から「ブルジョワの頭脳と大衆の力とが結合してはじめて遂行された」のがフランス革命に他ならないとする。要するにブルジョワが大衆につくか、自由主義貴族につくかによって、革命の進路が左に揺れたり右に振れたとする。換言すれば、ブルジョワの求める自由と大衆の平等との相矛盾する理念上の対立でもあった。かくしてフランス社会を構成する諸階層の利害関係や自由と平等との理念上の対立が複雑に絡まって「劇薬フランス革命の偉大と悲惨の両面を生んだ」と結論している。


7).
さて、敬愛するマンガ家・倉多江美の傑作長編に『静粛に、天才只今勉強中!』があるが、この主人公のモデルが「変節の政治家」として悪名の高いジョゼフ・フーシェ(一七五九〜一八二〇)その人である。フーシェは、町人から身を起こし僧院の教師から一転、革命政府の派遣議員としてナントで恐怖政治や非キリスト教化を断行したかと思えば、またも転身、ロベスピエール打倒に暗躍、ナポレオンに接近し、総裁政府の警務大臣を務め、公爵まで登りつめた。王政復古後も警視総監となったが、ついに追われてトリエステに引退した。多くの人間が革命なかばで次々と倒されていくなか、フーシェ一人ひとりだけは、独自の情報網を操り、常に影の黒幕として陰謀を懲らし、転身を重ねに重ね激動の時代をしたたかに生き抜いた。まさに典型的なマキャベリストであった。

『ジョゼフ・フーシェ』
ツヴァイクここでは世界的伝記作家として著名なシュテファン・ツヴァイク(一八八一〜一九四二)による『ジョゼフ・フーシェ』を挙げておきたい。本書はバルザックをして「ナポレオンにさえも、一種の恐怖心を起こさせた」と言わしめたフーシェという類例のない負の天才の生き様を丹念に追った良書である。

彼は突撃するさいには、例によって、避雷針の役をしてくれる強者のうしろに隠れているのだ。思いおこせば、リヨンの虐殺共犯者コローは、熱病の島に追放されたが、フーシェは残ったし、総裁政府攻撃の戦友バブッフは銃殺されたが、フーシェは残った。彼のパトロンだったバラスは、国外追放を余儀なくされたが、フーシェは残った。そして今度もまた、前列にいたタレーランだけが倒れ、フーシェの方は助かったのだ。政府も政体も、主義も人物も、次々に交代し、世紀のかわり目の荒れ狂う旋風のなかで、一切のものが没落し、消滅していったのに、ただひとりだけが、依然として同じ位置にとどまり、あらゆる政権と、あらゆる主義に仕えていたのだ。それがジョゼフ・フーシェなのである。

著者のツヴァイクは、ホーフマンスタールと同じ「世紀末のウィーン」にユダヤ系の裕福な家庭に生まれた。世界が第一次世界大戦を経て全体主義に傾斜し、やがてヒトラーの台頭を許すなかナチスから逃れロンドン、ニューヨークを経てブラジルに亡命し、終戦を待たずに自殺した。エラスムス以来のモラリストの系譜に連なる作家として彼が、フーシェという人物に取り組んだ理由には意味深いものがある。


8).
『神々は渇く』
アナトール・フランス最後に、恐怖政治が支配する当時の雰囲気を描いた古典的名作アナトール・フランス(一八四四〜一九二四)の『神々は渇く』を挙げない訳にはいかない。

彼の著作では『舞姫タイス』がよく読まれていると思われるが、本書も権力批判、権威に対する懐疑主義が基調となっている。ことに信念、正義、本質といった言葉、そこに信仰を付け加えてもよいが、いずれ高邁な理念への文字通りの盲信、教条主義が暴力という形で多くの人びとに牙をむいた革命という時代を一人の革命家の愛と死を通じて描き出している。この点で、フランス革命を描いた多くの小説の中にあって今日でも決して価値の減じることのない一級の文学作品である。

ところで、人間はそもそも理想や理念といったものを自らの幸せのために考え出したはずである。しかし、いつの間にか人間自身が逆に理想や理念に縛られてしまい様々な悲劇を生み出してきた。高邁な理想や正義あるいは正面切っては反対しにくい大義名分が、一人の権力者や国家によって振りかざされたために、いかに多くの人命が無駄に失われてきたであろうか。

かくして革命フランスにあっても、恐怖政治の中心にいた人物だけでなく、ごく普通の人をして多くの人びとをギロチン台へ送り込むことに荷担してしまうといった状況を生み出すことになる。

要するに、陪審員たちは、ほかの人たちより善くも悪くもない平凡な人びとだったのである。罪がないということは概してひとつの仕合わせではあるが、ひとつの徳ではない。誰しも、陪審員の地位を引き受けたが最後、凡庸な魂をもってこれらの戦慄すべき任務をやってのけたにちがいないのである。


9).
残念なことに、現代にあっても信念や正義といった言葉を好む人ほど、社会正義や規範を平気で人びとに押しつけ、その枠組から外れる人に対して不寛容な態度をとりがちである。彼らは、社会を規定する理念が特定の社会や集団が自らの共同体を維持し、より良くするために自らが規定し自らが内面化したものに過ぎない、従って本来は普遍的に妥当する根拠がないものであることへの理解を欠いている。ひたすら理念や社会的規範を信奉するあまり、それらが他人に及ぼす影響、その権力の行使がときに暴力的な威力を発揮することへの想像力が完全に欠如している。しかも、当の本人にしてみれば、自分が縛られていることに全く気付いておらず、自らを省み疑うことのない善意から世のため人のために正しいことをしたつもりなのだから、自分が加害者であることや相手が蒙った痛みに全くの無感覚なままであるから、いっそう恐ろしいことである。

こうした状況は、フランス革命以後も変ることなく、同様の構造は、現代社会にあっても身近なところで繰り返されている。かつてリッターは、その古典的名著『ヘーゲルとフランス革命』でフランス革命によって提出されたが、革命によっては解決されなかった問題として自由の実現を強調している。理念への教条主義や盲信を排し、自由と平等との調和のとれた実現という課題は、現代にあっても有効であるし、フランス革命は現在も進行形であるとあえて言っておきたい。

(園城寺執事 福家俊彦)






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