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石川県の新羅神社(1)


能登半島の新羅神社

能登半島は越の国や山陰地方及び北九州と並び、古代大陸や朝鮮半島の先進文化を直接に吸収し、 大陸や半島と同質の文化圏を形成していた地域である。 従って、当地方は渡来系といわれる人々が多く住み着いていた。 中でも新羅・加羅系の文化が栄え、渡来人の中では新羅系の秦氏が多かったようである。 神社については、能登半島の神社の八割が渡来系の神であるといわれている。 新羅神社に関係が深いといわれるのは田鶴浜町の白比古神社で、古くは新羅神社といわれていた。 中島町の久麻加夫都阿良加志比古神社も、 新羅の天日槍と同一人物といわれている都怒我阿良斯等神を祭神としている新羅(加羅)系の神社である。

能登を含めた越前・越中の地方は古代、越(高志)の国といわれ、 対馬海流を北西の季節風に乗り対岸の朝鮮半島から多くの渡来があった。 なお、当地方も越の国と同様に、弥生時代には水稲耕作と玉造りの兼業が行なわれていたようである。

万葉集に次のような歌がある。
「梯立(はしだて)の 熊来のやら(石川県中島町の海)に
新羅斧 おとし入れ わし
懸けて懸けて 勿泣かしそね 浮き出づるやと見む わし」
〔万葉集(七五九年)十六巻〕
この歌から古代に新羅製の斧が貴重品として使われていたことや、 熊木が高麗来であるとすれば、高麗と新羅が同居していたことになり、 能登と朝鮮半島との深いつながりを見ることができる。


一、能登半島の新羅神社

能登半島の神社で有名なのは気多神社(羽咋市)、白比古神社(田鶴浜町)、 久麻加夫都阿良加志比古神社(中島町)、 更に渡来人の子孫といわれる秦澄の創建した白山比刀iしろやまひめ)神社である。 今回は白比古神社と久麻加夫都阿良加志比古神社の二社を訪ねた。 白比古神社と久麻加夫都神社の由緒は夫々新羅系と高句麗系といわれているが、 現在に残る祭りの形態等から考えると、二社は共に新羅系の渡来人が祭った神社であると思う。

能登中島町の阿良加志比古神社と田鶴浜町の白比古神社のちょうど中間に 「唐島」という七尾湾に少し突き出した場所があり、そこには唐島神社がある。 元々は韓(加羅)島であったのであろう。そこから田鶴浜町寄りには大津川や大津潟、 大津地区などの地名がある。これらをみていると、ちょうど滋賀県の大津や唐崎の地を歩くような感じがする。 阿良加志比古神社へ行く途中で、鷲に出会った。ゆっくりと飛んでいた。 この地方に多いのかどうかは判らないが、ふと若狭地方の新羅人・和氏(鷲)が思い浮かんだ。

二、田鶴浜町白浜に鎮座する白比古神社

JR金沢駅から「七尾線」と「のと鉄道」を利用して約二時間、田鶴浜町は能登半島の中央部に位置し、 七尾西湾に面した静かな町である。牡蠣の養殖が多い。

田鶴浜町の歴史は古い。古代の内浦街道の宿駅であり、 『東鑑』の駅路の記述に「田鶴浜・所口(現・七尾市)より二里二丁」とある。 現存する資料では羽咋市気多大社蔵の「一宮社務職年貢納帳」に、
一宮社務職御年貢米銭納帳
三百七十八文 田鶴浜亀源寺
大永六年十月……
の記載がある。大永六年は一五二六年である。古くはタツと読んだとあり、龍の意とも考えられる。 竜蛇は出雲の神大国主命の使者であるとされているので、 或いは大国主命と関係があり、神々が集まった(氏族の移住)地であったのかも知れない。 『能登志徴』にはタツルバマ、タヅノハマ、タテノハマと呼ばれたとある。

『田鶴浜町の歴史』によれば、白比古神社のある白浜については、 「内浦街道が通り、七尾西湾に北面します。 中央部にエンマヤと呼ばれる小高い丘があり、海側をウラデ、山側をオモテデと呼びます。 地名の由来は、産土神の白比古神社の御神体が、ここの海でとりあげられたことによる、 と伝えられています。延喜式神名帳には、(能登十七座の内、白比古神)と書かれていて、 それよりも古くからあった地域と考えられています。

JR田鶴浜駅からタクシーで国道を西方へ約十分、 白浜バス停の前を一〇mくらい入ると稲荷鳥居が立っている。 鳥居の前には白比古神社の大きな石柱が立っている。 石造りの立派な鳥居の下から二〇m程参道が続き、もう一つ石の稲荷鳥居をくぐると拝殿が見える。

木造建築であるが、屋根は瓦葺で庇の勾配は急。背後に大きな森をもち社有地は広い。

拝殿の背後の石段を昇った所に小さな社がある。本殿と思われる。 本殿は履屋の中にあり、神殿は流造で庇の下には龍の彫刻が施されている。 登高欄や組高欄の備わったりっぱな社殿である。現在の神主は小柳正美氏である。 小柳氏に聞いてみたところ、氏は近隣の大津の大津八幡神社の神主で、 戦後の行政区画変更に伴い、田鶴浜の神主からその職を引き継いだとのことであり、 確かな史料は残っていないが、昔は新羅神社と言っていたようである、とのことであった。

出羽弘明(東京リース株式会社・常務取締役)






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