| 
        
            
              
                  
                      | 
                    バンコックでの滞在 | 
                    VOL.4 | 
                   
                 
               | 
             
            
               
                ようやくバンコックに辿り着いた。 
                 
              ミャンマーが陸路出入国禁止で自転車による入国は不可能なので、このバンコックからは、インドのカルカッタに飛行機で飛ぶつもりでここにやってきたのだ。 
               
              その準備のために選んだのが、カオサンロードというバックパッカー街である。出発前に読んだ本によれば、旅行代理店から安宿、土産屋まで旅行者に必要なものは何でも揃っているという、ありがたい場所だ。 
                             バンコックに辿り着いたといっても、町が広すぎて、目的としているカオサンロードが一体どこにあるのか見当も付かない。どこにカオサンロードがあるのかタイ人に聞きながら探さなければならなかった。 
               
              何度目かに訊ねたタイ人が、仕事先が近くだから、ついて来いと言って、自転車で先導してくれ始めた。大きな通りをスイスイとしばらく走ると、彼は立ち止まって 
              「この道路を渡ればカオサンはすぐだ」 
              と言い残して仕事に行ってしまった。 
                             そんなこといわれたって、キチンと最後まで案内してくれないと、辿りつけなかったらどうするんだ、と思いながら、教えられたままに自転車を走らせると、目の前に他の通りとは全く違う異質な世界が現れた。 
               
              英語表記のホテルの看板が立ち並び、通りを歩いているのは、ザックを背負ったバックパッカーと呼ばれる旅行者ばかりで、両脇に並ぶのは、安宿や土産物屋。テープやCDを売る店がそこかしこにあり、オープンカフェでは各国の旅行者がビールや酒を片手に、テレビを見たり、大声で盛り上あがっている。 
               
              日本人の姿も見られたが、驚いたのは西洋人の旅行者には若者だけでなく、中年や老年の数が多く女性の数も多いことである。彼等は一人でウロウロしていたり、5人ほどで連れ合ったりと様々だった。 
               
              チェックインするホテルを決めようと適当に歩いていると、突き当たりにあったホテルがシングルの部屋で100バーツ(約300円)だったので、そこに決めた。フロントは酒が飲めるカウンターを兼ねていて、インターネットができるようにパソコンも数台、設置されている。 僕は、部屋に荷物を積み込むと、バンコックでやらなければいけないことを考えた。 
               
              まず、インドビザの取得、これは、自分でやるのは面倒臭そうだったので、このカオサンストリートにある旅行代理店に頼むことに決めていた。海外になれないうちは面倒臭いことは人任せにしたほうがいいと思ったのだ。 
              次に、インドまでの航空券の購入、これはバンコックの航空券を扱う店をいろいろ回ってみて、一番安い券を買うつもりでいた。それくらいなら自分でもできるはずだ。 
               
              そして、自転車を梱包するための段ボール箱の調達、これはバンコック市内で自転車屋を探し、そこで不要になった箱を譲ってもらうつもりだった。 
               
              シンガポールから、このバンコックまでの旅は、いわば予行演習だった。これから向かうカルカッタからヨーロッパまでの旅こそが本番であり、この世界一周旅行で最も困難な区間である。ここまでの旅で、海外において地図、通貨、言語、ホテルなどが、日本とは全く重要性の違うことをヒシヒシと思い知った。 
                             これから先では、危険な土地を走ることもあるだろう。その時は、日本と海外との違いの認識不足による、うっかりしたミスが命取りになるかもしれないのだ。次に向かうインドを前にして、このバンコックでもう一度気を引き締める必要があった。 
               
              僕は、貴重品の管理を徹底しようと考えて、ホテルの近くの小物屋で、首下げ型の貴重品入れと、腹巻型の貴重品入れを買った。首下げ型には、パスポートと、100$の現金と、振り込んでいない空っぽのカードを入れておき、刃物を持った強盗などに出会ったら、捨て金として差し出すようにして、腹巻型の方には本命のカードと200$を入れておくことにした。 
               
              パスポートと、現金と、カードが、一つの貴重品入れに、入っていれば、強盗だって他に本命の貴重品入れが、あるとは思わないだろう。もし、睡眠薬で眠らされても本命のカードさえ守れたらよいのだ。旅行者の中には命の次に大事なものはパスポートだという者もいるが、命の次に大事なのは現金だ。もしくは水や食料。 
                             現金さえあれば、大使館へ行ってパスポートの再発行を申請し、発行してもらえるまで待っていられる。しかし現金がなければ、何も食べられないし、ホテルにも泊まることはできない。大使館までの交通費だって払えない。だから、僕は、この旅を続けるに当たって、現金を引き下ろせるカードを死守することだけを考えた。 
               
               
              もし、カードを無くした場合はどうするのか? 日本のシティバンクでカードを作る際に、カードは国外で再発行できないと聞いていたので、もう一枚の預金ゼロのカードを持っておくことにしたのである。 
               
              そして、現金20万円を日本の銀行に振り込んできたので、もし、本命のカードを失った場合、直ちにシティバンクに電話して口座を止めてもらい、日本に電話して、国内の口座から予備のカードに振り込んでもらう。20万円分の現金さえあれば、どこにいても、空港まで移動して飛行機で帰国することもできるはずだからだ。                  
              そして、予備のカードは捨て金とパスポートと一緒に持つことにしていた。 
              僕は、命とカードさえ失わなければ、パスポートだろうが、自転車だろうが、何を失っても構わないと思っていた。 
               
              自分に物を失う癖があることは重々承知していたし、旅の間だけ癖が消えるとも思ってなかった。始めから、物がなくなることを大前提に旅の計画を立てた。そこには自分でモノをなくすということ以外に、盗難にも対処できるようにという考えもあった。 
               
 インドビザを申請してる間に、カオサンストリートで出会った、沖縄出身のなっちゃんという女の子と一緒に晩御飯を食べに行くことなった。 
  
               「川岸にあるレストランがいいね」 
              と相談して、僕らは舟で川を渡り、向こう岸にあるレストランに行った。 
              メニューを見ると、グリーンカレーなるものが載っていた。 
              何で、カレーが緑なんだろう?と思っていると、 
              「自転車で旅行なんてすごいね。想像できないよ」 
              と、なっちゃんが言った。  
              僕は、その言葉を不思議に思った。 
              想像できない?何故だろう?女の子には想像のできないことなのだろうか。 
              そう思いながら、ふと気付いた。 
               
              そうか、自分は自転車で海外を旅する自分を想像したから、計画を立て、実行に移せたわけだ。 もし、想像できなければ、実行する体力や、行動力があっても、こんなことはしていなかっただろう。何かをやろうとするには、行動力や精神力が重要だと思っていたが、まず何より想像できるということが大事なのだ。
              これは僕にとって大きな発見だった。 
               
              ダッカ経由のインド行きエアチケットを購入した僕は、飛行機を待つ間、自転車屋を探して、町中をウロウロ走ってみた。 
               
              これだけ大きな町なのだから自転車屋ぐらいあるはずなのだが、中々見つからない。 
              バイクや車の部品を扱う店は簡単に発見できるのだが、自転車屋は見つからなかった。 
               
              僕は、方法を変えてトゥクトゥクを拾うことにした。トゥクトゥクとは、タイの三輪タクシーである。 
              トゥクトゥクの運転手なら自転車屋を知っているに違いない。 
              大通りを走っているトゥクトゥクを捕まえて、運転手に 
              「自転車屋を知っているか」 
              と聞くと、  
              「ああ、知っているよ」 
              という答えが返ってきた。  
              「もし、自転車屋に辿り着かなければ金は払わない」 
              と念を押した。 
              「全然構わない」 
              というのでトゥクトゥクに乗りこんだが、到着した所はリサイクルショップだった。 
               
              中古の電化製品や置物に混じって、確かに自転車は置かれていたが、僕が行きたかったのは、自転車屋だ。 
              トゥクトゥクの運転手は、 
              「どうだ、こいつはお手頃だぞ」 
              と得意げな顔で中古自転車をポンポンと軽く手でたたいている。 
              「これは自転車屋じゃない、これでは金を払えない。自転車屋に連れて行ってくれ」 
              と言うと、トゥクトゥクの運転手は困った顔をしたが、再び走り出した。 
              やっぱり簡単にコトは運ばないものだ、
              こいつはひょっとすれば面倒臭いことになるかも知れない、と思っていたが、次に連れて来られたところは、正真正銘の自転車屋だった。 
               
              見れば、隣にも数軒自転車屋が並んでいる。 
              あっけなく自転車屋に連れて来られたので、拍子抜けしてしまった。 
              最初からここへ連れて来てくれたらよかったのだ。 
              「よくやった、これでいいんだよ」 
              僕は、トゥクトゥクの運転手に約束していた以上の金額をチップとしてやった。 
               
              その自転車屋街は、昨日、ウロウロした車屋街の近くだったので、トゥクトゥクの中から道順は把握できていた。 
              次からは自分の自転車で来れる距離である。 
               
              僕は自転車屋を覗きこんだ。 
              自転車やパーツが沢山並んでいる。 
              自転車屋では気前よくダンボールをくれるといったのだが、気持ちとして一箱につき50バーツを支払った。 
              これでダンボールを調達するという目的は達成された。 
               
              僕は、それから、しばらくの間、自転車屋さんに通って整備を教わった。 
              実は自転車のメンテナンスなどというものはしたことがなく、工具の使い方も全く知らなかった。メンテナンスや修理方法など旅に出てから覚えればいいと思っていたのだ。
               
               
              普通ならパンクに備えて修理方法を覚えるのだろうが、僕の場合はパンクしたまま何百キロ走れるかという実験をしたり、サドルを盗まれた場合に備えて立ちこぎで、何時間走れるか、ということや、スポークが折れたまま何百キロ走れるかという実験をしていた。
              それらは、もちろん修理工具や交換部品を無くすだろうという前提に基づいたものだった。 
                               ビザを取得し、エアチケットも購入した僕は、バンコックをあちこち観光した。 
              バンコックのシンボルである壮麗な王宮寺院のワットプラケオだとか、ワットポーの巨大な寝釈迦像などを見て回った。 
                               バンコックに到着してから、昼夜を問わず、ホテルのカウンターで酒を飲む癖がついた。ラベルに像の絵が描かれたビアチャンというビールは安かったのでついつい飲んでしまう。夕飯には、屋台で売っている焼きソバを二つ程食べる。  
              飛行機を待っている間、ただビールを飲んでいればよかった。もう何もすることはない。インドのビザも、飛行機のチケットも、自転車を梱包するダンボールも、寺院などの観光も済ませた。あとはフライトを待つばかりだった。 
                             
              夜になっても通りは賑やかさを増すばかりだった。スイカや、焼きソバを売る屋台が並ぶ。歩いていると、トゥクトゥクの運転手が次々と寄ってきて「ススキノ・ススキノ」とささやく。一体誰がススキノなんて教えたのだろうか。 
              なっちゃんと道端に座り込んで焼きソバを食べながらバックパッカーで溢れた夜のカオサンロードを眺めていた。随分と騒がしかった。こんなに沢山の白人を見たのは初めてだった。 
               
               カオサンストリートを眺めているだけで日本では味わうことのなかった非日常的な気分になった。ここで毎日ビールを飲んでゴロゴロする生活も悪くない。でも、そんなことが目的で海外へ出てきたわけじゃない。 もっと非日常な世界に旅立つのだ。自転車でインドからヨーロッパまでペダルを踏み続けるのだ。自分にやれるか?やってやる。絶対にやってやる。 僕は早くカオサンを飛び立ちたかった。 
                             空港へ向かうバスはホテルの前に止まった。バスといってもタダのワゴン車だった。荷物を各自、天井に搭載しなければならなかったが、自転車を梱包したダンボールはとても重かったのでてこずっていると、背の高いスキンヘッドの白人が手伝ってくれた。 
              彼の名は、ステファンといってフランスからの旅行者だった。 
               
              話を聞くと、彼もカルカッタへ向かうところだったので、カルカッタで同じ宿に泊まろうということになった。 
              彼は、この旅で初めての白人の友人だった。 
               
              初めての海外旅行でうっかりしたミスも多かったが、マレー半島を縦断し、バンコックでインドへの準備を済ませ、外国人とも気楽に話せるようになった自分は、今、確実に旅の中で経験を積み重ね、成長しているような気がした。 
 
 | 
             
           
         |