浅村朋伸の「世界一周自転車旅行記」 三井寺ホームへ

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ルーマニア 1 VOL.27

 ルーマニアに入国した僕らは、三日間走り続けて、トランシルバニア地方を北上していた。街道沿いには延々とリンゴの木が植えられている。どこもかしこもリンゴ畑だった。
暗くなって差し掛かった村で、歩いていた老人に、ホテルがあるかどうか聞いてみた。

その老人は英語を話せなかったが、大学でフランス語を教えているらしく、ロブがフランス語で訊ねると通じた。老人が、倉庫の二階にある部屋に泊めてやるというので、僕達は泊めてもらうことにした。荷物を運び終わって、老人が部屋を出て行った後、僕はロブに訊ねた。
「ロブ、お前はフランス語も話せるのか?」
「学校で習ったんだ」
僕は、英語とフランス語ができる彼を少し羨ましく思った。しばらくすると、老人が戻ってきた。手には瓶とグラスを持ってやっている。自家製の果実酒らしく、それを僕とロブに飲ませながら、老人はフランス語で、なにやら喋り続けた。ロブによると、このトランシルバニア地方の説明をしてくれたようだったが、僕には、さっぱりわからなかった。
ブラン城  老人が喋り尽くして、部屋を出て行くと僕達は寝袋を敷いて寝た。
「随分長い峠だな」
「もう、ブランに着くはずだ」
翌日、老人の家を出発した僕達はブランへと続く峠を進んでいた。

 ブラム=ストーカーの「ドラキュラ」という小説は実在したブラド=ツェペシュという人物をモデルに書かれたものだが、ブランには、そのブラド=ツペェシュが住んでいたブラン城がある。ヴラド=ツペェシュは、ドラキュラのモデルとはなっているが、ルーマニアでは英雄として扱われている。その理由は、ヨーロッパに北上してきたトルコ軍と戦って、その進撃を食い止めた人物だからだ。
 ひどい寒さだった。凍りつくような雨のせいで体は凍え、視界も悪い。坂道では自転車の重量の軽い僕の方が速かったので、ロブをおいて先にグングンと登り続けた。長く続いた峠を登りきったところにカフェが現れたので、ロブが気付くように店の表に自転車を停めて中に入り、暗い店内で、イスに腰掛けて熱いコーヒーを注文した。店にはあまりメニューがなかったので、スナック菓子を食べながらロブを待っていると、しばらくして、ロブも店の中に入ってきた。
「参ったな。手が冷たくて動かない」
彼も入るなりコーヒーを注文した。僕達は、しばらく店の中で体を温めた。
「どうする?店を出るか?」とロブは聞いてきた。
「この雨は、あと20分程で止むと思う。今日は、まだ時間もあるし、もうしばらく待ってから出発するべきじゃないか?」
「まあ、お前の言うとおり雨は止むかも知れない。でも俺は今すぐ出発するべきだと思うぜ。俺は、なるべく早いうちにブランへ着きたいんだ」
雨をやり過ごした方がいいと思ったが、ロブは早くホテルにチェックインしたいと言う。恐らく、早く体を温めたいのだろう。
「じゃあ、そうしよう。出発だ」
僕達は店の外へ出た。雨はまだ降り続いている。自転車に乗って、再び走り出すと、そこからは下り坂だったのでスピードが出る分、寒さは倍増した。
「ダメだ。もっと手先をカバーしないと」
手袋のない僕はタオルを手に巻きつけ、その上からビニール袋をかぶせて坂を下った。しばらく走ると先に行っていたロブが自転車を止めて待っていた。
「トモ、お前、なんていう格好で走っているんだ」
ロブは冷たい雨の中、笑い声を上げた。
「仕方ないだろう。寒くて手が千切れそうなんだから。僕はスピードを抑えて下るから先に麓まで行ってくれ」
「ああ、わかった」
そう言うと、ロブは先に自転車で下っていき、すぐに彼の姿は雨の中に消えて行った。

僕は寒さに耐えられるように自転車のスピードを抑えながら坂を下っていった。雨の日は、ただでさえブレーキの効きが悪くなる上、寒さに耐えられるように手に巻いたビニール袋のせいで、余計にブレーキ操作がやりにくくなっていたので、雨で視界の悪いカーブの続く坂道を慎重に下っていった。長く続いた坂が終わるとロブが待っていた。
「さあ、ブランに着いた。ホテルを探そう。この辺は少し高いかもしれないな」
「構わないよ」
町の入り口で意外と簡単にペンションが見つかった。値段を聞くとペンションはシーズンが過ぎたので、客がいないらしく料金も幾分、安くなっている。僕達はペンションに入る前に、近くで少し早く夕食をとることにした。表通りで、カフェらしき店に入り、つまみのようなモノで食事を済ませると、ロブはペンションに酒を買って帰ろうと言い出した。
「どれを買うんだ?」
「お勧めは、あるかい?」ロブはカウンターの女性に訊ねた。
「これがおいしいわよ」と言って彼女は一本のブランデーをカウンターに置いた。
「ルーマニアの酒かい?」
「いいえ、ギリシャのブランデーよ」
「どうする?」
「それでいいじゃないか。ギリシャ製のブランデーなんて飲んだことないけど」
僕達は勧められた「アレクサンドリオン」というギリシャ製のブランデーを買ってペンションに戻った。ペンションには暖房が付いていたが、雨に打たれ続けたせいで体は冷え切っている。例によってロブは荷物の整理に夢中になっていた。凍えた体を温めるため、僕は買ったばかりのブランデーをコップに注いで一口飲んだ。体が芯から冷え切っていたせいだろうか、口の中に素晴らしい味わいが広がった。
「ロブ!こいつを飲んで見ろ!美味い」
僕はそう言って、ロブにもブランデーを注いだ。
「本当だ!トモ、こいつは美味い」
僕とロブは何杯も何杯も交互にグイグイとブランデーを飲んだ。
「トモ、お前がそんなに飲むからもうなくなったじゃないか!」
顔を真っ赤にしたロブは笑いながら言った。
「いや、ロブだって同じだけ飲んでるはずだよ」
「もう一本買いに行くか?」
「その前にシャワーを浴びて荷物を乾そう」と言って僕は濡れたシャツを脱いだ。

 夜のブランは誰も歩いていなかった。町外れまで通りを歩いてみても、灯りすら目立たない。
「面白そうな場所は無さそうだな」とロブが言った。
「小さな村だから仕方ないよ」
僕達は歩いてきた道を引き返し、ブランデーを買った店の向かいのレストランに入って肉とポテトを注文し、ビールを飲んだ。出てきた料理は値段の割に、さして美味いものでもなかった。
「この店は高いと思わないか?」ロブは不機嫌そうだった。
「明日はブランデーを買った店で何か食おう」
「でも、あそこには何もないぜ」
ブランという町は気の利いた店を見つけにくそうな町に思えた。

 翌朝、食事を済ますと、次の町を目指す前にブラン城へ出かけることにした。シーズンは過ぎていたが、城の入り口には出店が並んでいて、ポツポツと観光客がいた。城内はそんなに広くなく、いくつかの部屋の中を見学することができた。ドラキュラのモデルが住んでいたからといって、恐ろしい気配もなく、家庭的な雰囲気を漂わせた城だった。

 ブランを出発すると、3時間もたたないうちにブラショフに到着した。僕は先へ進みたかったが、午前中にブラン城を見学して時間を潰したこともあって、ブラショフで宿泊することにした。町のことは、ロブのガイドに、大きく紹介されていたが、町好きのロブも、あまり気に入らなかったようで、観光らしきこともせずに、フファトルイ広場の「黒の教会」を見ただけだった。黒の教会というのは、オスマン=トルコに支配されていたブラショフをハプスブルク軍が砲撃したときに黒く焼け焦げたことから、この名前がついたという。東欧では、キリスト教徒とイスラム教徒の争いの歴史を様々な所で垣間見ることができる。ブラショフからは、野宿を経て、シギショアラという小さな町に到着し、ホテルにチェックインした。

シギショアラ  朝起きると、ロブがホテルの宿泊代には朝食代が含まれているというので、中にあるレストランで朝食を取った。ソーセージとパンと卵にコーヒーがついていた。僕は、この朝食に、自分がヨーロッパにいることをあらためて実感した。シギショアラは町の中央に時計塔があり、こじんまりとした綺麗な町だった。ノンビリとした空気が漂い、中世の面影の残る石畳の傾斜を歩いていると、童話の絵本に迷い込んだような気がする。
この町は、まさに映画ではなく童話の絵本の世界のようである。ホテルの前のレストランでシルバというビールを飲んだ後、適当なカフェでコーヒーを飲んでホテルに戻り、夜になって、町をぶらついてみた。ブラックボックスという賑やかなバーがあったので、一人で飲んでいると地元の若い連中が話し掛けてきた。彼等の内の一人は、僕が日本人であることを知ると突然「日本語の文章は単語と単語の間にはスペースがないが、どうやって単語の区切りを理解すればいいのだ?」と質問してきた。まさか、ルーマニアの若者が日本語に興味を持っているなどとは思いもしなかったのでビックリしたが、どうやら大学で日本語の授業を受けているとのことだった。
「日本語というのは、平仮名で全文を書くと日本人でも読みにくいが、字自体に意味を持つ漢字が混ざっているために区切りが理解しやすく、句読点を使うと、そんなに混乱することはない」と答えたが、彼はピンと来なかったようなので「日本語をアルファベットを用いて表記する場合には、単語と単語の間にスペースがないと読めたものではない」と説明すると「やっぱりそうだろう」と納得したようだった。
 僕は学生達と仲良くなって、一緒に飲みながら、いろんな話をして、ホテルに帰った。

ホテルに戻ると、ロブがフロントの女の子と話をしていた。彼女は21才で随分美人だし、英語もペラペラで陽気な性格だった。口説いているのか?と訊ねると、彼女には彼氏がいるのだが、相手が、なかなか結婚に踏み切ってくれなくて歯がゆい思いをしているようだと教えてくれた。
「どこの国でも恋愛問題というのは似たようなものだな」と日本語でロブに言うと彼は「そうだな」と笑った。

 翌日も僕らは、出発せずに、この町に滞在することにした。時計塔のすぐそばには、あのヴラド=ツェペシュの生家があり、ドラキュラの看板を立て、レストランを営業していた。僕らはそこでランチを食べた。ロブは食事が済むと伝票に代金とチップを挟んでウエイトレスに渡した。日本でチップなどを払ったことのない僕は、なるほど、ああやって渡すとスマートに見えるものだなと感心した。夜、ロブの誘いで、ホテルのフロントの女の子と、その友達と一緒に飲みに行くことになった。
 ノンリミットというバーに行ってみると、アメリカの音楽がかかっていた時には、静かに座って飲んでいた若者達が、突然、一斉に立ち上がって踊りだした。一緒に来た女の子に「どうして皆、踊り始めたんだ?」と聞くと「今、かかってきた曲は、大人気のルーマニアの曲なのよ」と説明してくれた。なぜ人気があるのか不思議だったが、とにかく皆大はしゃぎだった。

ブラショフ 翌朝になって、出発しようとしていると、ロブが中々起きない。どうしたと聞くと、腹を壊したという。たいしたことはなさそうに見えたし、早くロブと別れたかったが、動けない状態に付け込んで先に行くのは気がひけるので、もう一日滞在することにした。一人でホテルを出て、カフェでビールを飲んだ後、時計塔の方へ、ぶらぶらと歩いていくと、ジプシーの女の子が話し掛けてきた。年は18ぐらいに見える。姉が病気で薬が欲しいから金をくれというので、姉はどこにいるのだと聞くと、ブラショフにいるという。ブラショフにいるんじゃ仕方ないじゃないか、と言うとブラショフへ行く金をくれと言ってて手を差し出してきた。ブラショフだって?ブラショフからは二日かかっている。
彼女はどうやって移動するのだろうか?乗り物に乗る金があるのだろうか?嘘に違いない。 僕は、バカバカしくなって、彼女に何も言わず、その場を立ち去った。

 シギショアラを出発すると、翌日にはシビウに到着した。シビウは階段通路やトンネルの多い入り組んだ造りの町だった。夜中までロブと別行動をとり、バーで飲んでホテルに戻ると、ロブが、いい情報を教えてやると言う。
「俺は今日、町をぶらついて、いいアウトドアショップを見つけた
んだ。そこに50$ほどのテントがあったから買っておいたほうがいいと思うぜ」
「とりあえず、見に行って決めるよ」
確かに、これからテントは絶対必要になる。乾燥していたイランやトルコと違ってヨーロッパの夜露や雨が相手では、屋根のない絨毯で野宿し続けるには無理がある。それになんといっても、これからは冬がやってくるのだ。彼の言うように、そろそろテントは買っておかないといけないかもしれない。

 次の日、町を歩いていると「ハロー」と誰かに声をかけられた。見るとシギショアラで出会ったジプシーの女の子である。
「あれ、君はブラショフヘ行ったんじゃないのか?」
一体、彼女はどうやって移動してきたのだろうか?ヒッチハイクだろうか?それともジプシー達が移動するための車でもあるのだろうか?
僕は、旅仲間と再会したような気分になって、彼女とレストランに入った。
「何か飲みなよ」と言うと、彼女はコーラを注文した。
「ところで、君は英語をどこで習ったんだい?」
「お姉ちゃんに教えてもらったの」
そういえば、バローチ民族の若者も、クルド民族の子供も英語を勉強していた。彼女もまた、学校ではなく、身近な人間から、生きていくために英語を教わっていたのだ。僕は彼女とポテトを食べながら、いろいろな話をして、今度は礼を言って別れた。

 僕とロブは大通りのカフェでビールを飲みながら、地図を広げて今後の予定を立てた。

「アラドからハンガリーに入らずにオラデアから入国しないか。途中のクルジュという町で俺は写真を撮りたいんだ。このコースはどう思う?」
ロブがクルジュという町で、写真を撮るためにしばらく滞在するのなら、その時に彼と別れればいい。僕はクルジュという町に滞在するつもりもないし、これで一人になれる。
「ああ、そうしよう」僕はそう答えた。
僕らが地図を片づけて、もう一杯ビールを注文すると、隣に座っていた2人組みのルーマニア人の若者達が話しかけてきた。
「やあ、旅行しているのかい?ルーマニアでは、こうしてビールを飲むんだけど知ってるかい?」
彼は塩をつまんでグラスの縁にこすりつけてビールを飲んだ。
「嘘だろ?」とロブは笑った。僕は彼がやったようにビールを飲んでみた。なるほど、あっさりとした飲み口に変わる。
「こうすれば、何杯でも飲めるだろ?店がここに塩を置いてある理由さ。店側は客が飲んだ方が儲かるからな」
「まさか」とロブは言ったが、なるほど、考えてみれば、レストランでもないこの店のテーブルに、塩が盛られた小皿が置かれている理由は他に見当たらない。日本でも塩で酒を飲むことを好む人間がいる。彼らは、この町がドイツ人によって設計された町だということや、いろいろなことを教えてくれたあと去って行った。カフェでビールを飲むばかりだと退屈だったので、映画館に行って「パールハーバー」観てみたが余計に退屈だった。
 ロブの言っていたアウトドアショップへ行ってみると、確かにテントがあった。値段は約50$だったが、フライシートが付いている。フライシート付きのテントさえあれば、まず夜露や雨に悩まされる心配はない。しかし、果たして3ヶ月持つだろうか?それだけが問題だった。どうせ、東ヨーロッパにいる間に、ペルシャ絨毯を日本に郵送する予定だから、その分、荷物は軽くなるのでテントの重さは気にする必要はない。ただ、雨の中で毎日使い続けても耐えられるのであればいいのだ。広げてみて触った感じでは、しっかりしていたので、僕はテントを購入した。

 シビウを出て、少し走ると雨がパラついたので、時計塔のある小さな町のカフェで休憩することにした。僕とロブは、それぞれ、カプチーノを注文した。テーブルにメニューが置いてあるのに気付いた。丁度、昼時で少し腹が減っていたので、ハンバーガーを注文して食べながら僕達は今後の予定を確認した。
「明日にはクルジュに着きそうだ。俺はクルジュに着いたら写真を撮る予定だけど、お前は何日間、滞在するつもりだ?」
「いや、僕は先を急ぐから滞在はしない」
きっぱり、そう言い切ると、ロブは何も言わなかった。僕はクルジュで、今度こそロブと別れるつもりだった。