「エゲルには、ワインで有名な美女の谷という観光地があるんだが、行ってみないか?少し寄り道になるが」 
                  ルーマニアとの国境から、ロブと別れる予定のブタペストまで、直線的には大した距離ではない。ロブと行動を共にするのも、あと数日のことだから、ここまで旅を共にしてきた友人の提案を受け入れ、コース変更して、わざわざワインを飲むために寄り道するのも悪くはない。 
                「ああ、行ってみるか」と僕は答えた。 
                 
                エゲルは美しい町だった。町の中央にはマイノリテ教会という18世紀後半に建てられたバロック様式の大きな教会が建ち、その前にある広場には勇ましい甲冑姿の銅像が建っている。 
                ハンガリーは世界的に有名なワインを二つ産出している。トカイの町が誇る世界3大貴腐ワインの内、一つ「トカイ・アスー」と、ここエゲルの看板的ワイン「エグリ・ビカベル」である。 
                エグリ・ビカベルは別名、ブルズブラッド(雄牛の血)と呼ばれている。その由来は、1552年にオスマン=トルコ軍によって、エゲルが攻撃を受けた際、一ヶ月にわたる攻防に耐えて町を守った英雄、ドボー=イシュトバーンが、城内に蓄えてあったワインを兵達に飲ませているのをトルコ軍が見て、ハンガリー兵が牛の血を飲んでいると勘違いしたことからついた別名であるという。そして、このマイノリテ教会の前の広場に建つ猛々しい銅像こそが、町をトルコから守った英雄、ドボー=イシュトバーンである。  
                美女の谷には数十の洞窟形式のワインセラーがズラリと並び、観光客が、あちこちのワインセラーに出入りしていた。僕達は適当なワインセラーの中に入ると早速、試飲を始め、メルロー、ブルズブラッド、メドック、メディナを順番に飲んだ。せっかくだから何か買って宿で飲もうということになり、僕達は瓶入りのブルズブラッドとメルローを買って帰り、ホテルの部屋で全部、飲み干してしまった。 
                翌朝、目が覚めると、ワインの飲みすぎで、とても動ける状態ではなかった。外に出てみると天気が良く、久しぶりに自転車を洗車することにした。二日酔いのせいで、ノロノロとしか作業ができない。ギヤの歯車を全て外して汚れを落としていると、いつの間にか、隣でロブも洗車を始めている。 
                「出発は明日にしないか?」と僕は言った。 
                  「構わないさ、急ぐ必要はない」 
                  先を急いでいるはずの僕から、出発を延期しようと言ったのでロブは嬉しそうだった。先を急ぐことはない、と自分で言い聞かせては見たものの、残金には限りがあるのだということを考えると焦りが生じた。 
                エゲルを出発してブダペストへ向かう峠を進んでいると、辺りが暗くなってきた。そろそろテントを張る場所を見つけなくては、と考えながら走っていると、前を進んでいたロブが立ち止まった。ロブが顔を向けている方向を見るとキャビンが見える。 
                「トモ、今日はどうする?野宿でもいいし、ここに泊まるほうがいいか、お前はどちらがいい?」 
                  「ここで料金を訊ねて高くなければ泊まろう、高ければ野宿だ」 
                  「よし、わかった。そうしよう」 
                 宿泊料金は高くなかったので、僕達はチェックインすることにした。荷物を全部運び込むと、ロブはブダペストに住んでいる友人に電話をしてくると言って公衆電話を探しに行った。 
                  ロブの友人というのは、彼がエジプトからトルコまで船で渡るときに船内で知り合ったイスラエル人らしく、医者になるためにブダペストの医大に留学しているのだという。船内で一晩、話をしただけらしいが、ブダペストに来たときは自分の下宿に泊まってくれとロブに約束していたらしかった。 
                 「俺は彼のところに一週間程泊めてもらう予定なんだが、お前はブダペストにどのくらい滞在する予定なんだ?」 
                  「じゃあ、ロブが友人と会えたら、僕はユースホステルに向かうよ。ブダペストに滞在するつもりはないし、すぐに出発する」 
                  「そうか」とロブは頷いた。 
                  「宮崎の学校で英語の教師をしていたとき、皆でこういうところに泊まったことがあるよ」 
                  「宮崎で?」 
                  「ああ、皆いい人ばかりだったよ。すごく楽しかった」 
                ロブは宮崎でいたときのことを話し始めた。彼が日本で楽しい時間を過ごしたと言ったのを聞いて、僕は自分が、ロブにとっての日本人の印象を悪くしていたら、彼が日本で出会った人達に申し訳ないな、と思った。 
                  キャビンをチェックアウトして、2kmほど登ると峠の頂上にドライブインが現れ、ロブが友人と待ち合わせの確認をするために電話をかけに行った。峠を越えて、アップダウンの多い道を走り、町の中へ入るとビールを飲んで、マクドナルドへ入った。 
                  「俺達が出会ったのはマクドナルドだったな」とロブが言った。 
                  「そうだな」 
                  僕は、ロブと初めて会った時のことを思い出した。まさか、こんなに長い間、彼と旅を共にするとは思わなかった。しかし、彼と走るのも今日が最後なのだ。 
                  「これがヨーロッパか・・・」 
                  ブダペストに入った僕は走りながら、巨大な街並に圧倒されていた。伝統的な建築物が想像以上の規模で立ち並んでいる。駅に着くとロブの友人であるイスラエル人のバザクは、駅まで愛犬ラッキーと一緒に迎えに来ていた。バザクはユースホステルを探すのは面倒臭いだろうから、ロブと一緒に自分の部屋に泊まらないかと僕に言った。 
                「構わないのかい?」 
                  「狭いけれど君さえ良ければね」 
                とりあえず、今夜はバザクの家に泊めてもらって、明日にでもユースホステルに宿を移して出発の準備を整え、明後日に出発すればいいだろう。僕達は、彼の借りているマンションの一室を使わせてもらうことになり、シャワーを借り紅茶をご馳走になった。バザクはとても流暢な英語を話した。 
                「なぜ、イスラエル人なのに、そんなに英語が上手いんだい?イスラエルの英語教育はそんなにレベルが高いのかい?」 
                  「イスラエルはアメリカの子分だからさ」バザクの代わりにロブが答えた。 
                  「日本だってアメリカの子分だが英語は普及していない」と僕が言うとロブは「確かに」と言って笑った。 
                 
                バザクは数年間に渡る学生生活の最終試験を終えたところで解放感に溢れて上機嫌だった。バザクは何日でも好きなだけ部屋に泊まればいいと言う。ブダペストは素晴らしい町だし、宿泊代がいらないというのは大きな魅力だが、バザクの好意に甘えてブダペストに滞在するとロブと別れて一人になることはできない。ロブと一緒に旅を続けていると楽しいことも多いが、予算の都合上、このまま彼と旅を続けるわけには行かない。 
                  「今夜はメキシコ料理を食べに行かないか?」 
                  バザクの提案で、僕らは世界一美しいといわれるハンガリーの国会議事堂の前を通って、近くのメキシコ料理を食べに行った。 
                 
                翌日、僕は駅の近くのイエローサブマリンというユースホステルにチェックインし、ドミトリーのベッドに寝転んで、これからの行程について考えた。明日になればブダペストを出発する。これからは一人のヨーロッパだ。今までのようにロブがチップの払方など、いろんなことを教えてくれるわけではない。本当の意味で僕のヨーロッパ旅行は明日から始まるのだ。なるべく出費を抑え、金銭的に余裕を持ってパリからニューヨークへ飛び、そして、アメリカ横断を成し遂げる。アメリカ横断が成功するか否かは、物価が高い西ヨーロッパのドイツ、フランスでの出費によって大きく左右するので、ここからは本当に気を引き締めなければならない。 
                部屋を出て、町を歩くと久しぶりに一人になった気がした。ジャパニーズレストランに入ってラーメンを食べ、その後、アジア料理レストランに入って再び、ラーメンを食べた。  
                ネット屋でメールを確認すると、イランで出会った韓国人のナリが、チェコのプラハにいることを知らせてきていた。僕は、自分ももうすぐプラハを通る予定だと返信した。イエローサブマリンに戻ろうとすると、何か飲みたくなったので適当な店を探していると変った店が目に付いた。壁や看板に笑顔のチェ・ゲバラのような男の似顔絵が描かれている。僕は、そのバーに入った。 
                「あなた、どこから来たの?」 
                  カウンターでビールを飲んでいると、隣に座っていた地元学生の女の子が話し掛けてきた。 
                  「東アジアの日本さ。自転車でシンガポールからスタートして昨日この町に着いたんだ」 
                  「うそでしょ。信じられないわ」 
                  「うそじゃないさ。途中にネパールでヒマラヤも見てきたし、パキスタンやイランで砂漠も越えてきたんだよ」 
                  「あなた本気で言ってるの?」 
                  「もちろんさ。これからパリまで走って、それからアメリカへ飛んでニューヨークからロスまでアメリカを横断して日本へ帰るんだ」 
                  「あなたみたいな人には会ったことがないわ」 
                彼女は僕が訪れた国について、あれこれと訊ねてきた後で「ねえ、あなた、このお酒が飲める?」と言って、世界最強の酒として有名な「スピリタス」を注文した。 
                スピリタスなら日本で、何度か飲んだことがあったので、僕は彼女からショットグラスを受け取って、一気に飲み干した。すると、彼女もスピリタスを注文し、同じように一気に飲み干した。見事な飲みっぷりだった。僕は、確か二杯までならスピリタスを飲んでも大丈夫だったことを思い出し、もう一杯注文して再び、一気に飲み干した。すると彼女も二杯目を一気に飲み干した。 スピリタスを三杯も飲んだことはなかったが、勢いで注文して飲み干すと、彼女は「私はもう無理だわ」と言って両手を挙げた。相当、酔いが回ってきたので「そろそろ部屋に帰るよ」と言って店を出ようとすると「もし、もう少しこの町にいるなら、私の部屋に来て」と言って彼女は自分の電話番号をメモして僕に差し出した。僕は「ありがとう」と言って店を出た。強い酒を飲んだせいで、フラフラになった僕はベッドに倒れこむとそのまま眠りこんだ。 
                翌朝、イエローサブマリンをチェックアウトすると、僕は電話でロブを呼び出し出発を告げた。 
                  「ロブ、じゃあ行くよ」 
                  「ああ、元気でな。気を付けて旅を続けろよ」 
                  いろいろなことがあった。なんだかんだ言いながらも結局、この男と一ヶ月も一緒だったのだ。 
                  「ありがとう、ロブ。元気で」 
                  ロブと握手して別れ、僕は一人になった。ブダペストを出発した僕は、ドナウ川の川岸で一人でテントを張り、川を眺めながらブレッドを一人で食べた。 
                 
                オーストリアに入国してガソリンスタンドで売られている商品を見ると値段にユーロの表示があった。通貨統合は新年からで、それまでは移行期間なので、支払いはユーロでなくても問題はないのだが、とうとう、ユーロ圏内に入ったのだ実感させられる。すぐ、チェコに脱出しないと物価が高くてすぐに金がなくなりそうだ。僕は、なるべく何も買うまいと心に誓いつつ、入国祝いのビールを買って飲んだ。ウィーンに着くと歩いている殆んどの人間が観光客のようだった。シュテファン寺院を眺めた後、カフェでコーヒーを飲んで、ナリからのメールを確認すると、彼女とユニは僕を待つためにプラハでの滞在を少し延長するという。3時間程でウィーンを出ると、ドナウ川の土手に続く道を走り、チェコを目指した。 
                日も暮れそうになったので土手を降り、川の真横の林の中へ入ってテントを張り、プラハでナリやユニに再会するのはいいが、あまり長く滞在しないようにしなければ、と考えながら眠った。  
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